ベトナム症候群

松岡完氏の「ベトナム症候群-超大国を苛む「勝利」への強迫観念」を読了


ベトナム戦争の敗戦によって、アメリカは混迷の時代に入った。
政府や議会に対する信頼は低下し、既存の権威が軽じられ
ミーイズムという自己中心主義が大手を振って罷り通るようになった。
陸海空の各軍の予算が大幅にカットされたために多くの軍需産業が消え、
同じ武器の部品を作るのにその期間が2倍以上になるなど必然的なコストを招き、
兵器の精密化に伴う開発期間の延長と相まって
米軍を支える兵器群は旧式化を余儀なくなれさた。
軍の士気・規律、能力そして外部から人気は地におちて、
イラン大使館人質事件を始めとする多くのミッションで失敗した。
それは、米軍とともに迷走するアメリカ政府を象徴していた。


アメリカはベトナム戦争敗戦のショックを湾岸戦争で完全に払拭した。
世界中の多くの人がそう思ってるいるし、何よりアメリカ人自身そう信じているだろう。
確かに軍隊の一部は自信を取り戻し、規律や能力をある程度のレベルまで回復させたが
しかし、アメリカにとって初の敗戦となったベトナム戦争の記憶は
未だアメリカ人の心の奥深く刻み込まれている。
アメリカが軍事行動を起こす際になされる反対に
必ず「第二のベトナムをするな」というスローガンが使われることもさることながら
アメリカ人自身が国外における軍事行動に一貫した姿勢を
未だにとれないでいることに現れている。
湾岸戦争において、アラブ連合を含めた多国籍軍をもってイラクと対峙したアメリカだが
内実は莫大な資金を使ってアラブの協力を買ったものに過ぎなかった。
莫大な資金を使ったにもかかわらず、アメリカは何を得たのか。
圧倒的な勝利といわれつつもその徹底を欠き
フセインの首を諦め、結局は10年後の再戦になっている。
現在泥沼のような統治をするのであれば、あの時点でケリをつけるべきだったと
誰もが一度は考えてるだろう。


アメリカの政策が変わるのは大統領が4年ことに選挙で変わることも影響しているが
何より国民の意志によるところが大きい。
アメリカ人が死傷することに敏感なのは当然のことながらアメリカ国民であり
それはメディアによってヒステリックなまでに増幅されている。
結局のところアメリカ人が軍事行動を支持するのはアメリカに被害がでないまでであり
一端死傷者がでると、それ以降は急速に反対に走る傾向がある。


それでいてアメリカの国益や自由と民主主義を守るための軍事行動は否定しながら
虐げられた人達の人権を守るためなら軍事行動を支持する。
ユーゴを爆撃したことによって、紛争がさらに泥沼に陥る結果になったとしても
アメリカ人が死ななければそれに一定の評価を与えている。
人権外交と標榜しながらも、北朝鮮チベットチェチェンは無視である。
また、国連に対するアメリカのスタンスも一定していない。
ある時は国連の権威を頼り、ある時は国連を無視している。同じ大統領の期間に、である。
戦略性の乏しさもそうだが、自己矛盾と二重基準も甚だしい。


結論としてベトナム戦争以降アメリカは自己矛盾と偽善をはらみ、
戦略性よりも国民の感情を重視し
国際社会に背を向けながらも、ある時必要以上に介入し問題を複雑化させている。
それはどこかナイーブな少年の行動に似ていて
あたかも傷ついた少年が感情を抑える術をしらず暴走しているように見える。