RIGHT STUFF

私の中の二十五年間を考えると、その空虚にいまさらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
二十五年間憎んだものが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生じる偽善というおそるべきバチルス*1である。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は進んで、これを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

(中略)

私は、これからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口を聞く気にもなれなくなっているのである。


三島由紀夫


どこかで読んだ意見か忘れたが戦前と戦後の日本人を比較して秀逸なものがあった。
曰く、
戦前の通州事件発生後、日本人は政府に居留民等の保護を強力に求めたが
今年の反日デモの際は、中国に進出した企業人は首相に靖国参拝とりやめを求めた、と。
非常時に政府を頼りにする姿勢は、戦前も戦後も一緒だし、
国家はその構成員たる国民の生命と財産を保護することが義務であるから、
そのこと自体問題には値しないが、後者の物言いにはいいように嫌悪感を感じる。
己の利益に執着するあまり、日本という国家の尊厳や伝統などに価値を見いださない人間が
日本人を名乗ることに私は少なからず抵抗を覚える。
それほど御身大事なら、日本国籍を捨て中国国籍をとればいいたろうに、とすら思う。



8月15日の産経新聞には、
35年前に作家の故三島由紀夫が記した「私の中の25年」という文が掲載されていた。
驚くべきことにこの作家は、現在の日本を蝕んでいる病巣の萌芽を
35年も前に見抜いていた。慧眼というより他はない。


以上、からっぽで無機質な中年の独り言である。

*1:つきまとって害するもの