終戦のエンペラー


保守系の方々で、話題になっていたのが気になり、
なんとか時間をやりくりして嫁と鑑賞。


終戦直後、GHQの一員として日本に来日した
マッカーサー元帥の副官フェラーズ准将は
元帥から特命を授かる。
それは、GHQの日本占領政策を円滑に進めるため
昭和天皇を戦争責任がないことを証明し
戦犯裁判で起訴しないことが可能か否か、
10日間以内で調査せよー、というものだった。


連合国のオーストラリア、ソビエト連邦は、
昭和天皇の戦争責任を要求しており、
アメリカ議会も天皇の処刑に肯定的であったが
マッカーサーは、天皇を法廷で裁くことが
日本国民の感情を刺激し、
占領政策を一気にひっくり返す
神経の使う危険な問題であることに気づいていた。


戦前に来日の経験があり、
日本人とも親交とあったことを見込まれた上での
フェラーズ准将への特命だっだが
日本の複雑な権力構造、政府、皇室関係者らの
白黒をつけない日本的な修辞の回答に
フェラーズの調査は難航した。


またフェラーズは、戦前に
交際のあったアヤという日本人をさがそうとするのだが、
消息がようとしてしれず、公私ともに
日本へ対する希望を日に日に失いつつあった……



この映画は日本人プロデュースによる
日本人原作でありながら
米国人監督によるハリウッド作品である。
映画の率直な感想をいうならば、
アクションシーンもなく
アメリカ人が主人公といいながら
さして有名な人物がモデルとなっているわけでもなく
アメリカの正義とは関係ない日本の名誉が主題で、
サスペンスと言えなくもないが
主人公が生命の危険に及ぶわけでもない、
スペクタルとスリルに欠けるわかりにくい題材を
ハリウッドで映像化できたことに
別な意味で感心してしまった。


逆説的にいえば、余計なフィクションが少ない分、
史実に近く、そうした意味で楽しめる作品だった。
河井道をモデルにした半実在の人物「アヤ」と
主人公フェラーズ准将との関係を
物語の軸の一つにおいた脚色を
映像化に必要な創作として受け入れられば
この作品は、楽しめるだろう。
しかし、中途半端に史実に詳しい人間からすると
この作品を手放しで評価するのは難しい。
つまり、創作に対する許容の線引き次第で
観客の評価が分かれる内容になっている。


映画の評価はさておき、
前田有一の超映画批評のレビューに
書いてあったことをややなぞるが
この手の歴史物は、もう日本国外の作品を
期待するしか手がないのかもしれない。


現代の日本において
昭和初期の物語をつくろうとすると
好むと好まざるとに関係なく、
作り手の"思想"が入り込む。
それは、右にしろ、左にしろ、何れの場合も雑音となり
純粋に映画を楽しむ上での阻害要因となる。
仮に中立をうたったところで、
日本人の軛から逃れることはできない以上
知らず知らずに、偏向してしまう。
むしろ、中立性を装いながらそれぞれの思想を
粉飾して喧伝する場合が殆どではないだろうか。


逆に立場を鮮明にし、
制作の意図を明らかにした方が
わかりやすいのだが、そういう作品は
えてして過剰な意識で、独りよがりとなり
どこか鼻白むものを感じる。


これは、日本において戦争が縁遠いものとなり
もはや戦争そのものが歴史フィクションと
ほぼ同義になった故ではないかと思う。


左右それぞれの声高に叫ぶ感情に満ちた言葉が、
日本人を戦争の正確な記憶と記録から遠ざけて
戦争の行為や体験を戯曲化させてしまった。
戦争の体験があるなしに関わらず、
我々は、もはや戦争を史実ではなく
それぞれに都合の良い物語として
自己の主張に酔いながら受け入れているのが、
実情に近いのではないだろうか。


そうした日本のお家事情とは縁のない米国人が、
制作してくれるのは喜ばしいことなのだが
その場合には、別な問題が生じることが多い。
日本と日本人を正確に理解できているか、
ということである。
日本を誤解して描き、映画の出来以前に
鑑賞意欲を失ってしまった作品は枚挙に暇がない。
幸いにして本作は、そうした心配が杞憂に終わり
日本人が見ても違和感のないレベルまで仕上げられ
実在の人物を損なうことなく描かれているので
映画としての完成度はかなり高いと思う。


ただ、映画はアヤとフェラーズと恋物語のほか、
細部に脚色が施されてしている。
昭和天皇の御遺徳を称賛することについて
何の異存もないが、この作品をもって
陛下の徳を讃えるにはやや無理があり、
注意を要する。


この映画から歴史を語るとするならば
昭和天皇が戦争責任を追及されなかったのは、
占領軍の施政上の都合のほかに
別の理由もあった、という程度のものでしかない。
まとまった作品ではあるものの、
フィクションが交ざっている以上、
そこは明確に線を引く必要がある。



以上、右寄りな人の感想である。


参照リンクJOG(388) 昭和天皇を護った二人のキリスト者(上)