朝の8時に仕事を申し送りアパートに帰って速攻で着替え
206プジョーをかっ飛ばし東北自動車道から北関東自動車道へ。
途中で道に迷いながらもツインリンクに11時前に到着。
なんとか125ccの決勝に間に合ったと思いきや、
メインスタンドからメチャ遠いインフィールド側の駐車場へ誘導されてしまい
スタートの瞬間を肉眼で見ることができなかった。
そのまま4コーナーから5コーナーのコースサイドで見る選択肢もあったが
折角買ってある指定席がもったいないので125ccは諦めて
テクテクと歩いてメインスタンドへ移動した。
キャンギャルが見たいという不純な理由からではないことを付け加えおく。


メインスタンド側に到着し、スポンサーのブースや売店あたりをウロウロしていると
レースがクラッシュで中断してしまった。
間もなく周回数を減らしてスタートからやり直しとのアナウスが入る。
ある意味ラッキーなのだが、日本人は125クラスを半ば追い出されているので
適当にスルーしながら観戦する。
指定席といっても、最終コーナー寄りか1コーナー寄りかのエリアをチョイスできたので
オーロラビジョンが見やすいとの理由から1コーナー寄りの席を確保した。
125の後の250では、青山がジリジリと順位上げる粘りの走りを展開
日本人の活躍に声を張り上げながらテンションをヒートアップさせる。



Motoクラスで、最初にピットから飛び出したのは、グリーンのカワサキのマシンだった。
ゼッケンは確認できなかったが、おそらく中野真矢だったと思う。
暫く遅れて玉田誠がコースインする。スタンドから「玉やーん」の声が飛ぶ。
何台かウィリーさせながらコースインしてスタンドを湧かせる。
スタートグリッドに着いてから、フォーメーションラップを1周することになっているが
そのフォーメーションラップで玉田スタートをミスる。
おいおい玉田、折角のポールポジションなんだからとボヤキながら見ていると
まさに不安的中、玉田レース本番でもスタートをミスり、5、6番手で1コーナーに進入する羽目に。
1コーナーで何かおこりそうな予感がして注目して見ていると案の定数台がクラッシュ。
その中に黄色いマシンがいた。ピアッジだった。
何年か前の鈴鹿で見せたロッシとどつきあいバトルを生でやってもらいたかったが
その夢はスタート後10数秒であっけなく潰える。
カピロッシもそこでコケた。98年以来こいつの名前を聞くと気分が悪かったが
昨日は久しぶりスーッとした(笑)


スタート直後のクラッシュを回避した玉田はロッシの真後についてブリッジ下に消える。
中野は6番手くらいでインフィールドエリアに突入。
せいぜいレースを盛り上げてくれることを期待しつつ中野に声援を送る。
レースは2週目からロッシと玉田とマッチレースの展開
二人にちょっと遅れて3位グループにメランドリと中野とノリック
カワサキのマシンしちゃよくやるよな、最後まで保つかな?と疑問視していると
5週目くらいの最終コーナー付近中野マシンから白煙が上がる。
1コーナー入り口でも白煙があげ、ふらつきながらコーナーを周回する。
ああやっぱりカワサキか?ブリジストンか?ともうじきリタイヤするんだろうなと思いきや
さきに潰れたのはノリックだった。中野はそれ以降トラブルらしいトラブルもなく完走
いったいあの白煙はなんだったんだろう?


6週目玉田が90度コーナーで仕掛けて、トップで奪いメインストレートを通過。
スタンドから「玉やーん」絶叫。もう回りは総立ちで声援を送る。
レースを半ばすぎると玉田の独走がはっきりし、観客も冷静さを取り戻す頃
今度は、中野がバロスをかわす、3位である。
いいぞシンヤ、それでこそ男の子!!
カワサキ偉い!!


ポイントでロッシを追セテ・ジベルナウは中盤まで6位グループを走行していたが
しかしジリジリと遅れ出す。
マシントラブルかと思ったが、それほど極端なペースダウンでなかったので
おそらくタイヤがヘタったのだろう。
予選では中野のカワサキより遅かったジベルナウ
セッテイングが決まらなかったことを思えば妥当な位置だが
これでロッシのシリーズチャンピオンはほぼ確定


そうこうしているうち、ファイナルラップに突入。
プロトンKRにのる青木宣篤周回遅れで、加藤とロッシの後を走る。
遅いマシンを必死に走らす青木にがんばれと心の中で声援を送る。
中継のアナウサーが叫んだどうか知らないが
玉田は加藤とファイナルをきっと走っていたと思う、
中野も3位でフィニッシュ。


こうなりゃ、表彰式を見逃す手はない。多少帰りが遅れても構うものかと
荷物をまとめてメインスタンド前のアリーナに突撃する。
アリーナはえらい人混みでおいそれと表彰台に近づくことができなかったが
ポールには1本のイタリア国旗と2本の日の丸をはっきりと見ることができた。
そして君が代の演奏。
久々に日本人をやっていて良かったと思った。