使命感の隣にある危険

社説は米政府当局者の対応に謝意を表した上で次のように述べた。
「彼の死はジャーナリズムが危険な仕事だと思い知らされる。しかし彼の人生はまた、
 この複雑な時代に、ジャーナリズムが高貴で貴重な仕事であることも思い起こさせる」

組織に属する記者だけではない。
イラクで解放された人々にも、それぞれの立場があったのだと思う。
不適切かもしれぬ比較をあえてすれば、彼らの家族の一部が撤退を求めたサマワ自衛官たちには、
それ以上の使命感がある。
 
治安の悪いバクダッドに日本の旗を掲げ、
消息が途絶えていた日本人の情報収集を続けた外交官たちも同様である。
高い使命感なしにはできない高貴な仕事である。五人の救出で努力は報われた。


編集委員 伊奈久喜
「風見鶏」日本経済新聞 2004年4月18日

日曜日、球撞屋に行く時間調整を兼ねてマクドで朝飯をとった時
普段読まない日本経済新聞なぞを手に取った。
5人の邦人人質解放を伝える記事が多い紙面の中に「使命感の隣ある危険」と題して
使命感の尊さとジャーナリズムの意義を著した記事があった。


その記事はワシントンのニュージアムにある
殉職した世界中のジャーナリストの追悼コーナーの紹介から始まり
最近殉職したヴェロニカ・ゲリンとダニエル・パールという二人の活動について
やや詳細に記していた。

ヴェロニカ・ゲリンは、執念の調査報道で麻薬組織を追い詰め、
タブリン郊外で運転中に殺されたアイルランドの女性記者である。
96年におきたゲリン記者殺害事件は国内に衝撃を与えた。
議会は憲法を改正し、麻薬容疑者の資産を凍結できる措置をとった。
麻薬はテロとともに冷戦後の新たな脅威である。
ゲリン記者は「新しい戦争」に記者の立場で挑み、小さな子供を残し37歳で「戦死」した。
殉職記者たちのなかで紹介文がひときわ長いのが
ウォールストリート・ジャーナルのダニエル・パール記者である。
2002年にパキスタンイスラム過激派に誘拐されて殺された。
テロとの戦いの中での「戦死」だった。
ゲリン、パール両記者の悲劇の共通点は取材対象に殺された点である。
危険に巻き込まれたのではなく、自分から飛び込む結果になってしまった。
パール記者を誘拐したグループはアフガンで捕まってキューバにある
米軍グアンタナ基地に拘留されているパキスタン人の解放を要求した。
ブッシュ政権は拒否した。
身重だったマリアンヌ夫人からも
犯人側の要求を受け入れて欲しいという発言はなかった。
パール記者の死亡が確認され、2月21日付ウォールストリートジャーナルは
「ダニエル・パールよ安らかに」と題する社説を掲げた。


ゲリン記者の死によって、アイルランド国内の対麻薬政策が変わったとするならば
その戦死は僅かばかりだが慰めとすることができよう。
パール記者は、誘拐される直前、「子供が産まれるので危険な場所には行かない」と
周囲に漏らしていたらしい。
これを引退宣言と捉えるのならば、彼の殺害の時期が何とも云えない皮肉である。
だが、彼の夫人は誘拐に際して、沈黙を保ったというのだから、
その覚悟を推してするべきかもしれない。


サイバラの漫画にも登場するジャーナリスト勝谷誠彦は今回の事件について

某議員筋によると過労で倒れる寸前だと聞く上村司臨時代理大使が
今井紀明さんに「今井さんですね」と聞くと
彼はあの三白眼で見上げて「はい」とだけ答えていた。
周辺諸国で騒いでいる政治家や役人やメディアと違って
上村大使は要塞化した日本大使館に文字通り命がけで立てこもっている方である。
彼の命は常に狙われているということを私はバグダッドの情報機関から聞いている。
その彼が大使館を出てわざわざ本人確認のために今井さんに会っているのである。
そして何よりも上村さんは日本国の代表でありすなわち私たち納税者の代理人なのだ。


それに対して「すみません」でも「ありがとうございます」でもなく「はい」とは
素晴らしい教育を受けたものだ。
さきほど「人間の質」と書いた。
カメラが回っているにも関わらず口に中でチョコレートだかをもぐもぐやっている女や
急に撮影を始める男も同様で更に言えば解放が決まった時に
新たに捕まった2人への言及も配慮も一切なくはしゃぎまわる方々についても
私は同様な感想を抱く。
思い出してみたまえ。
北朝鮮拉致被害者のそれぞれの生死を家族に日本政府が言い渡した時
生存が確認された家族は喜ぶどころか死亡と言われた家族のために泣いた。
日本人には二種類あるようだ。

と述べていた。
今更家族と人質に批判を加える気はないが、
日本人に2種類いるのではない、人間に2種類いるのだと思う。
自分の見えるものだけしか考えられない人間とそうでない人間とである。
アメリカは戦うことを選択した。
その選択を必ずしも正しいと云うことはできないが
戦いがどのようなものか、
ジャーナリストの家族は、沈黙という態度をもってその意志を示した。
私が人質と家族に対してもっていた苛立ちは、「覚悟」という
あらゆる戦いに必要最低限な意志の無さ故だった。


我も安全な場所から批判を加え、行動しない口舌の徒ではあることは
否定もしないし反論の弁はもたないが
「戦死」するくらいの覚悟はある。
例え主義が違えども、BBSで持論を展開したガモスキーも
自分以外の何かのために命を賭けてもいいという人間なのだろう。