地球の日

−−人質となった日本人は政治に関係のない民間人です。


テロリストに論理はない。「お前の論理なんて通用しない。
我々の憎しみは論理を超えている」というのがテロリストのメッセージだ。
私の息子が殺された理由は、米国人、ユダヤ教徒、記者であることなどだった。


−−息子さんの死後、「ダニエル・パール基金」を設立しました。


憎しみを封じ、寛容と異文化交流を促進するため、
パキスタン人記者の米国招へい、ユダヤイスラム教徒の対話会議、
平和のための音楽コンサートなどを開いている。
これが息子を殺したイスラム過激派に対する私流の「復しゅう」だ。


MSN-Mainichi INTERACTIVE


異国や異民族と文化交流を促進する人間は多けれども
自分の息子を殺害した国の人間に対しても
それができる人間が果たしてどれだけいるだろうか、
憤慨や悲嘆という身を張り裂く感情を心の底に深く沈めながら、である。

文面から読みとれるように冒頭の記事でインタビューに応えているのは
テロ取材中に「戦死」した記者ダニエル・パールの父親ジュディア・パールである。
正義感を振りかざし他国家を圧迫するアメリカ人の傲慢さは鼻持ちならないものがあるが
ジュディア・パールの「復しゅう」の言葉を聞く時、
アメリカ人の懐の深さに思わずある種の感慨を覚える。

例え、全てのテロの元凶がアメリカに端を発するものだとしても
ジュディア・パールの行動の価値は、貶められるべきものではない。
欺瞞や偽善という浅はかな行動では貫くことのできない
人間の尊厳がそこにあるからだ。
的はずれな比較で恐縮だが、ノーベル平和賞狙いで勲章漁りしている先生とは次元が違う。


彼の行為は、イスラエルスマダル・エルハナンの家族を彷彿とさせる。
パレスティナ過激派のテロに遭い亡くなった15歳の少女の両親である。
スマダルの両親は、事件後公然とイスラエル政府を批判する。
身内の被害を利用して政治的発言をしたという点を比べれば
今回の被害者家族と類似点があるかもしれないが

テロや戦争で人が死んだとき、残された遺族が発するコメントは、
イスラエルでは非常に人々の胸に響きます。
ふだんは、パレスチナ人との和平を説いても全く聞いてくれない人々でも、
テロの犠牲者の父母が発する言葉としてなら、きちんと聞いてくれる。
娘が死んだとき、私たち夫婦は、打ちひしがれるのではなく、
今こそイスラエルを良い方向に変えるための任務を果たさなければならないと思いました。

とのコメント読む限り、
覚悟なき人間との比較が非礼にあたるのは、先の交流話の例同様である。


今この地球には多くの戦争があって、この瞬間にも多く死んでいる。
人命が地球よりも重いと綺麗事を口にする気はないが
老若男女の数多の生命が戦争や闘争で失われているのはとても悲しむべきことである。
それに対して、何もできないことが歯痒く、
また、人類と地球の行く末に暗澹たるものを感じることがある。

だが、愚かなと思える理由で戦争が行われようとも
ダニエル・パールの父親やスマダル・エルナハンの家族のような人間がいる限り
人類と地球の未来は、決して悲惨な惨劇を繰り返すだけの
陰鬱な世界とはならないと私は信じる。

使命とは、命を使われることでなく命を使うこと。
使命の種類は違えども、逆境を乗り越え使命を達成しようとする人間がいることを紹介し
地球の未来は希望を託すに値するものだと宣言することをもって
私の「地球の日」の活動にかえたいと思う。

これが、無力のかいなしか持たない我にできる今唯一のことである。
このサイトを訪れた人の心に僅かばかりでも希望の灯が点ることを信じて・・・