拉致

家族は、自宅の玄関を鍵を開け続けて、失踪した子供の帰宅を待っていた。
親を悲しませるような子ではない、必ず戻ってくると家族は信じていた。
被害者の家族は、拉致された身内に危害が及ぶのを恐れ、実名が報道されることに躊躇した。
家族は拉致された子供や兄弟のために街頭に立ち続けた。

球撞き屋から帰ってきて、録画しておいたビデオを見た、「北朝鮮拉致、25年目の真実」である。
全ての始まりは、サンケイ新聞(現産経新聞)の一記者阿部雅美のスクープ探しから始まった。
記者は、執念による取材と偶然とも言える出会いによって
北朝鮮による拉致の事実を発見し、発表に至るのだが
その事実に、世間と外務省、そして政府は全くの無反応だった。
拉致という事実が、世に知られてから8年もの間、全く省みられることはなかったのだ。


大韓航空機爆破事件で、日本人拉致問題が注目を浴びるものの
政府及び国民の無関心によってその問題が再び闇の中に忘れ去られようとしていた。
が、共産党員・兵本達吉がこの事件に着目して国会答弁でこの問題を取り上げ、
故・梶山静六国家公安委員長から問題を認めさせる。
しかし、それでもマスコミと政府の反応は冷たいままだった。
共産党員兵本は、党利を越えてこの問題解決のため警察関係者と頻繁に遭うことから
警察のスパイと党から疑われて共産党除名処分に至るのだが、それでも拉致を追い続けた。
そして、朝日放送のディレクター石高健次がこの問題に関心を持ち韓国に飛んだことから
事態が大きく動く。
石高が北朝鮮の元スパイから日本人を拉致した人間の証言をカメラに収め
新たな事実・20年前の中学生拉致を突き止めた。
横田めぐみさん拉致事件である。


この横田めぐみさん拉致の事実のが無関心だったマスコミと国民の興味を呼び起こすのだが
この3人の働きがなかったら、横田さんの拉致だけでなく、
全ての拉致事件の事実は永久に陽の目を見ることはなかっだろう。
普通に暮らしていたごく普通の若者が、ある日突然、確たる理由もなく拉致され
その事実が全く不明であったかも知れないということを想像すれば
背筋が寒くなり、身の毛がよだつ思いがする。
そしてそれが、自分や回りの人間にも降りかかる危険性があったことを思えばなおさらである。

「悲しみも集まれば力になる。」

番組では、詳しく放映されていなかったが
いいようのない悲しみ中から家族の方が立ち上がったことを容易に推測できる。
周囲の無理解やいわれのない誹謗や中傷を受けたこともある筈だ。
世論を動かすまでには、想像もつかない時間と汗と涙を流したことだと思う。
家族の方が、街頭に立ち涙ながらに訴えている場面に思わずもらい泣きしてしまった。


話はそれるが今から6年前くらい報道されたある新聞記事の内容を
私は未だに忘れることができない。外務省の役人が
拉致問題は、スパイの人間が証言しただけで、それを信用することはできない。」
との発言である。
この発言が、公務中の発言だったのか、そうでなかったのか、
その別について記事は言及していなかったが
凡そ一国の外交官の見識とは思えない発言に
言いようのない憤りがこみ上げてきたものを今でもはっきり覚えている。
比較するのは的はずれな行為かも知れないが
先日の仕掛けられて当たり前といった石原発言を問題しするならば
こうした日本人の生命の危害を守ろうとしない外務省の人間の発言を
もっと問題視するべきではないだろうか。


少なくても、引退することを表明した代議者や左翼系政党の党首のなどは
過去の発言云々だけでなくその存在自体を問われるべきである筈だ。
また、拉致された方の家族がアメリカ政府に事態解決を訴えているが
日本の政治家では、この問題を解決できないと見限られた事実について
彼らはどうおもっているのだろうか。
日本の政治家は、己の無能さに気付かずまた恥じようとしないのは何故か。
国民の生命と財産を守ろうせず、よくもはずかし気もなくバッジをつけていられるものだ。
その厚顔無恥ぶりには、ただただ怒りしか湧かない。
全員職を辞して、被害者の家族の前で土下座すべきだとすら思う。


いま、拉致された家族を救おうとする世論に後押しされる形で
拉致問題解決に向けて多くのマスコミが報道しているが
そうした世論を作り上げたのは、議員でもなくマスコミでもなく
他ならぬ被害者の家族達自身だったこと思えば
彼らの行為は怠慢だったで済まされるべき類の話ではない。
拉致被害による失踪と思われる人間が400人近くいて
北朝鮮が拉致の事実を認めたのはたった13人しかいない。
「拉致はまだ解決していない」
拉致問題発掘をした阿部記者はそういった。