憂国の士

凡衆は水に浮かぶ木の葉の様なものだ。
大勢に流されて赴く所に従うが、憂国の士はそうは出来ぬ。
いつかは大勢を率いるか、あるいはこれを支えていくものだ。
それを忘れてはなりませぬぞ・・・。
石光真清


巷間を賑わせている前空幕長の論文に
引用されていた櫻井よしこ女史の名前があった。
巡回していた彼女のブログで偶然にも見つけた文章。


相手が子供だといえども
丁寧で正しい言葉遣いをするのが戦前の日本人の麗しい習いー
というのが女史のエントリーの趣旨だが
この一文に、論文を起点として巻き起きている
騒動の愚かさが形容されていると思う。


田母神氏の論文の形式は、確かに拙い。
論拠も最近公開されたばかりの文書が多く
内容が一般化されておらず、
平均的な日本人の同意を得るのは難しいだろう。
戦前の行為について肯定的意見ばかりで
バランスを欠くーそれは認める。


ただ、彼が職を賭してまで訴えたかったのは
日本人から誇りを奪うような
村山談話、そしてそれに類する反日史観が
何の反証もされずに定着してしまうことへの憤りではなかった。
マスコミは、田母神氏が論文発表以前から
反・反日史観的な持説を述べていたと批判しているが
逆にいえば、氏の態度が一貫していることの証であろう。


民主党の鳩山などは、ワイン会に同席したことで
「田母神氏の話に辟易し中座した」
自身に類が及ばないようにと釈明のようなコメントを述べ
そして、村山談話の教育をすると
保身汲々としている防衛相など、木っ端にもならぬ政治家たちは
終始一貫堂々としてる田母神氏の万分の一ほども
憂国の情を抱いていないだろう。



与党の選挙だ、法案だとのお為ごかしはもういい。
その選挙や法案の審議が終わった後に
不正や誤りが是正されたことがあるのか。
政治的な妥協の連続が、この国をどれほど歪ませ
人々から誇りを奪っているのか
それを切歯扼腕している者たちの憤怒を理解しているのか。



名前も職業も明かさないままエントリーし
我もまた保身に汲々としていることに弁疏の言をもたないが
憂国の志あるがゆえに、田母神氏を心より支持する。