卑怯者と臆病者の狭間で

ですぎたマネはしませんが
とてもひとりじゃ生きられねえ
どっちつかずのひきょう者でも
愛することはわすれないはず
何を見ていない
誰が見ていない
何が見たいのさ
誰を見たいのか
怒る前に


「行きずりのブルース」泉谷しげる


陽明学に「知行合一」という言葉がある。
知識と行為は本来同一であり、知って行なわないのは真に知っているのではなく、
真の知は必ず実行を予想し、知と行とは表裏一体をなすという意である。


mixiを眺めていたら
「知っていたのに助言できなかったこと」を反省する日記を見かけた。
こうすればいいのに、こうすれば上手くいくよ、
と助言することは簡単なようで存外難しい。
人間というのはプライドの生き物であり、
良かれと思って言った自分の発言が、
大いなる拒否反応を伴い帰ってくることがままある。
信頼関係か、人間関係に大きな差がない場合、
人からの助言というのは受け入れ難く
そしてそれは年齢とともに増す傾向にある。


人よりやや多く本を読んでる分、知識があり、
物事の欠点や修正点をすぐ理解してしまう。
昔はそういうことを率直に言ったものだが、
いつの頃からか、そういうことに疲れてしまい
しなくなってしまった。
ネットでは、右と左、保守と革新など様々な議論が盛んだが
そういうものに加わることも滅多にない。
おそらく、それは論戦に負けることより、道理で勝っても
相手がそれを修正することがないだろうという確信めいた予感による。
無駄なことや苦労は厭わない主義だが、
最初から徒労に終わると分かり切っていることに
さほど情熱を注ぐことはできない。


ある程度の助言や意見は提案するが、自分でやりたいようにやれ、
しかし俺は関係ないからな、としばしば思う。
人間性が冷たいといわれればそれまでだが、
人より自分が正しいことを証明するのに少々飽きている。
おそらく、多少のゆらぎはあるが、このスタンスでこの先とおしていくだろう。



卑怯者と臆病者の狭間で、自分は生きる。
それを誇りとはしないが、恥とも思わない。
知行合一から外れるかもしれないが、
正論を貫くには、この社会に住む人の心はあまりにも狭すぎる。