天切り松闇がたり ライムライト

ライムライト 【limelight】

1 石灰片を酸水素炎で熱して強い白色光を出す装置。一九世紀後半,西欧の劇場で舞台照明に使われた。
2 名声。評判。

この小説を読むまで
ライムライトが照明装置であることを
知らなかった。


さて、浅田次郎の「天切り松闇がたり」シリーズ第五作
あちこちの留置所に出入りしては自身の思い出噺を
吹きまくる稀代の盗人の語りが
軍人が幅を利かせなにやら時代が
きな臭くなってきた昭和の世相を背景に
冴えまくる。


義理を通し、人情を忘れない義賊など
講談の中でしか存在しないと
誰もが承知しているが、
権力に媚びず、それぞれの筋を通す生き方は
生活に倦んだ人間にとって
目映く写り、つい喝采を送りたくなってしまう。


表題作のライムライトは、
チャップリンの代表作と掛けて
彼との盗人らのあり得ない邂逅を綴った話であり
ひさびさに、彼らしい作品にまとまっていたと思う。

【正論】「日本精神」を体現した蔡焜燦氏逝く 「大和魂」でセイコー電子台湾邦人をグローバル企業に育て上げた氏の精神に学べ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫(4/4ページ) - 産経ニュース

蔡氏はこう言う。
今日の台湾の近代化の基盤となったものが
日本統治時代の50年にあったことは、
心ある台湾人なら全てが知っている。
知らないのは戦後の偏狭な価値観に
蝕(むしば)まれた日本人ではないのか。
日本は台湾に謝罪する必要などない。
謝罪すべきは親日・台湾を切り捨てた戦後日本の
外交姿勢の一点のみにある。
謝罪などではなく隣の巨大な覇権国家と恒常的に
闘っている台湾を応援するというのが、
日本人に固有な「侠」の精神ではないのか。

辞書によると「侠」とは
義にあつく、
強きをくじき弱きを助ける人。
とある。

男児に生まれたからには
かくありたいものだが
知らず知らず人情より義理、
義理よりは損得で
動いている自分がある。
気力に欠く己を憾みつつ
偉大なる先人に深く深謝す。

漢字

心のない愛 子を見ない親 簡体字が映すもの

漢字の簡体化とともに、伝統文化は廃れ、
道徳が衰退し、社会は乱れてしまった。
皮肉なことに、現在、中国の世相はまさに簡体字の通りである。


 例えば、親は「亲」に変わり、「見」が無くなった。
現在の社会では、親の面倒を見ない子供が多くなった。


 愛は「爱」に変わり、「心」を無くした。
つまり愛に心がこもらず、うわべのだけの愛となったのである。


 聴は「听」に変わり、心もなければ、耳も無くなった。
人の話を聴く耳と心はなく、人に何かを言われたら、
「口」と「斧」(斤)で対抗する。


 恥は「耻」に変わり、心が恥を感じず、耳で止まってしまい、
結局恥知らずになってしまった。

1950年代以降、中国では簡体字を使用している。
何千年と続いた漢字の文化を壊す行為だと
非難するむきもあるが、
この件に関しては、日本人もあまり偉そうなことは言えない。
なぜなら、日本も戦後に、新字体を導入して
漢字が意味する本来の形象を多く損なっているからだ。


リンク先の記事は、現中国政府に批判的な
在外中国人のためのメディア大紀元
掲載した漢字の本家ともいえる中国人の
簡体字の普及を嘆く内容の文章である。


一国二制度といいながら、
政治的に中国に飲み込まれそうな香港では
簡体字を忌避する傾向が強いようだ。

香港テレビ番組で簡体字の字幕 苦情殺到 WEDGE Infinity(ウェッジ)

香港の人たちにとって、自分たちのアイデンティティーの根幹をなすものとして中国語の使い方ほど大事なものはないかもしれない。香港では広東語を話し、繁体字を使うのだ。


だからこそ、ゴールデンタイムのニュース番組が簡体字を使い始めたことが、これほどの反発を買ったのだ。たとえ番組が広東語ではない中国語の放送だったとしても。


民主化運動派のクローディア・モー議員は、TVBに抗議文を送った。テレビ局は何の規則違反も冒していないと認めた上で、簡体字字幕の導入は明らかに、香港を中国本土の一都市に変えてしまおうという計画の一環だと指摘する。


「町を殺したければ、まず真っ先にするのは、その言葉を殺すこと」と議員は私に語った。

さて、おまけに、再び大紀元の記事。




漢字の創造者 蒼頡(そうけつ)の物語

老人は言った。
「あなたが造った『馬』、『驢』、『騾』の字は
すべて4本の足があるのに、
なぜ「牛」の字は4本の足がなく、
1本の尾だけにしたのでしょうか」


 蒼頡は心の中で少し慌てた。
「自分は『魚』の字を造る時に『牛』の形に書いて、
『牛』の字を造る時に『魚』の形を書いたが、
みんなに教える時に、
うっかり逆に教えてしまったのだ」と反省した。


 老人は更に聞いた。
「あなたが造った『重』の字は、
『千』と『里』を合わせ、
遠くに出るという意味にするべきですが、
人の重さを表す『重』の字として教えています。
その逆に、二つの山を重ねてできた『出』の字は、
重い意味を表すべきですが、
遠方に出かける意味の『出』として教えています。

たたが文字、されど文字
その文字は込められた思いは
深く、そして重い。

悲劇の発動機「誉」


大東亜戦争直前、
航空機メーカーの中島は、
若手技師・中川良一に新エンジンの設計を委ねる。
空冷小型エンジンで高オクタン価の燃料を使い
出力二千馬力を狙った野心的な試みは
一年足らずで試作品を完成させ
上々の試験結果を収める。


「誉」と命名されたエンジンは、
陸、海軍の主要な航空機に搭載され
国家の命運を賭けた戦いへ投入された。
空冷小型エンジンで二千馬力超の性能は
欧米のメーカーのものすら凌駕していたが
しかし、実戦でその性能を発揮することは
殆どなかった。


燃料不足による低オクタン価ガソリン、
エンジンの量産を支える各メーカーの技術不足から
誉は、カタログの出力に遠く及ばず
また、故障を多発させ、
部隊の整備兵を困惑させ続けた。


元エンジンメーカー勤務の経験を持つ
前間孝則氏は、誉が何故失敗したか、
その理由を丁寧に探り
生産現場を知らない技術者の経験と知識不足、
海軍や陸軍のずさんな計画などを
指摘して、失敗すべく失敗した事実を
明らかにしている。


欧米のメーカーが時間をかけて
少数のエンジンを改良して、
大量生産、高出力化を
実現させたのに対して
多数の試作機、試作エンジンをつくって
少ない人的資源を浪費した日本。
首脳部の無策が
戦争を戦った者達の努力を
無に帰したともいえる事実に
救われない思いがした。


話は、それるが1964年から
始まったホンダのF1参戦は
惨憺たる結果に終わった。
エンジンの出力は最高でありながら
速いマシンではなかった。
それは、整備性や車体とのバランス、
マシンの操作性といった総合的な戦闘力を
無視した結果でもあり、
エンジンのパワーだけを
追い続けた当然の帰結であった。
当時のホンダに、戦時中、
戦闘機のエンジンを
扱っていた技術者がいたことを
考えれば、日本人の性(さが)を
憾みに思う。

march goes out like a lamb

映画「3月のライオン」の後編、
一部に酷評してる意見もみかけたが
個人的には、納得できる出来だった。


ひなたに対するイジメが唐突に終わって、
肩透かしをくらった感もあるが
それ以外は、文句のつけどころはなく
寧ろ、よく原作をフォローしていると思った。


それにても
主人公の養父・幸田柾近役の豊川悦二の好演が
誤算だった。
彼が愛の流刑地で、作家役を演じた時、
およそ知的とはいえない演技で、
ガテン系の役者と評価していた。
本作では、物語を締める重厚な演技を
見せていた。
彼の演技をなしでは、
この作品は成立しえなかったのではないか、
と思う。


主人公の敵・後藤正宗役の伊藤英明
圧倒的な存在感を放っており、
主人公の持つ世界観の差違と
類似点をあぶり出すことで
物語の展開に陰影を与えていた。


原作を小気味好くなぞった前編とは違い、
まだ発表されていない物語の奥を
描いた後編だが、不思議と原作から
かけ離れた印象はなかった。
それは、原作者が用意している結末に
近い世界が描かれているからでは
ないだろうか。

三月のライオン


漫画が原作の実写映画は、酷評されることが多い。
原作とおりの展開だと筋が読まれてしまうので
話をいじることがままある。
いじりすぎて原作の雰囲気を壊したり、
余計な解釈で持ち味を損なったりする映画が
やたらと目に付く。


幸いにして三月のライオンは、
銀幕から
丁寧に原作を読み込んでいる印象を受けた。
少なくても原作を読んだファンが
がっかりすることはないとおもう、



ともすれば、主人公のモノローグが多く
暗くなりがちな物語を
有村架純が華のある演技で彩っているのが
良かったと思う。