俺と悪魔のブルーズ

俺と悪魔のブルーズ(1) (アフタヌーンKC)


俺らブルーズマンは、この胸の内側に誰もが持っているブルースを
掴みとって表現すだけだ。


俺と悪魔のブルーズ平本アキラ

キチガイ電波をまき散らして、と一部の人間から煙たがられているフルタチは
Talking Bluesとかいうイベントを毎年やっていたらしい。
「楽器をマイクに、詩をトークに換え、人間が不変的にもっている
 悲しみ、歎き、悲しみを、古館伊知郎が鋭い感性で表現する」のが
目論みだそうだ。
伝説に語られているRジョンソンのように悪魔に魂を売り渡すことこそが
Bluesの唯一無二の絶対必要条件ならば、どっかの国に魂を売ったかのような言動を
繰り返す彼は、その条件を満たしているかも知れない。
だが、先般、石原慎太郎とのトークで、おかしいんじゃないのアンタ?と
ツッコミを入れられる感性をBluesと呼ぶことに、やはり抵抗を感じる。


静岡とあるバーテンダーの言葉を借りれば

ブルースとは音楽のジャンルを言うのではない。
ブルースとは音楽の形式を言うのだ。
もっと具体的に言おう。ブルースとは、12小節で出来ている曲のことをいうのである。

では、あるが、
ジャズシンガーの綾戸千絵は、コードとか音楽の難しい理論を知らなくても
納豆にモロヘイヤとオクラを入れてじゅんさいを和えるのがブルースだといい
作詞家の康珍化は、よく晴れた空から静かに落ちてくる雨を天使のブルースと表現した。
花村萬月は、はるか以前に「ブルース」という
攻撃的で独りよがりで自己陶酔と暴力に満ちた小説を書き
北方謙三に、読むブルースと評された。


音楽だろうが、文学だろうが、漫画だろうが、トークだろうが
Bluesの魂があればそれはBluesである。
冒頭で紹介したロバート・ジョンソンの伝説を漫画化した単行本には、
間違いなく魂がある、一読あれ。




ブルース (角川文庫)

ブルース (角川文庫)