俺らブルーズマンは、この胸の内側に誰もが持っているブルースを 掴みとって表現すだけだ。 「俺と悪魔のブルーズ」平本アキラ
キチガイ電波をまき散らして、と一部の人間から煙たがられているフルタチは
Talking Bluesとかいうイベントを毎年やっていたらしい。
「楽器をマイクに、詩をトークに換え、人間が不変的にもっている
悲しみ、歎き、悲しみを、古館伊知郎が鋭い感性で表現する」のが
目論みだそうだ。
伝説に語られているRジョンソンのように悪魔に魂を売り渡すことこそが
Bluesの唯一無二の絶対必要条件ならば、どっかの国に魂を売ったかのような言動を
繰り返す彼は、その条件を満たしているかも知れない。
だが、先般、石原慎太郎とのトークで、おかしいんじゃないのアンタ?と
ツッコミを入れられる感性をBluesと呼ぶことに、やはり抵抗を感じる。
静岡とあるバーテンダーの言葉を借りれば
ブルースとは音楽のジャンルを言うのではない。 ブルースとは音楽の形式を言うのだ。 もっと具体的に言おう。ブルースとは、12小節で出来ている曲のことをいうのである。
では、あるが、
ジャズシンガーの綾戸千絵は、コードとか音楽の難しい理論を知らなくても
納豆にモロヘイヤとオクラを入れてじゅんさいを和えるのがブルースだといい
作詞家の康珍化は、よく晴れた空から静かに落ちてくる雨を天使のブルースと表現した。
花村萬月は、はるか以前に「ブルース」という
攻撃的で独りよがりで自己陶酔と暴力に満ちた小説を書き
北方謙三に、読むブルースと評された。
音楽だろうが、文学だろうが、漫画だろうが、トークだろうが
Bluesの魂があればそれはBluesである。
冒頭で紹介したロバート・ジョンソンの伝説を漫画化した単行本には、
間違いなく魂がある、一読あれ。
- 作者: 花村萬月
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1998/09/01
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