ある明治人の記録ー会津人柴五郎の遺書


ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))

義和団の乱において、各国公使館が争乱に巻き込まれた際
冷静な対応で各国から賞賛を浴びた柴中佐
彼が晩年になった時、少年時代の悲憤を綴ったもので
過酷ともいえる艱難辛苦が回想されている。


一藩あげての流罪に等しい処分を受けた会津藩
会津藩士の薩摩に対する恨みは並大抵のものでなく
その激しさは早乙女貢会津士魂」に詳しい。
この書はそうした恨み辛みから記したものでなく
戊申戦争で亡くなった多くの会津人の生を
証すために著したものである。


10歳の少年が戦争に巻き込まれ
母、姉、妹の自害、故郷を追われ
着る服なく、食べる物なく、あばら屋に居を構え
餓死寸前の状況に陥る様は
試練というには、あまりにも不遇であり
同情を禁じ得なかった。
高い教養がありながらも、下人同様に扱われ
日々の糧のために堪え忍ぶ柴氏の少年時代の暮らしに
どれほどの人間が困窮に追い詰められ、辱めを受けたのかを
想像するに難くなく
不当に人を貶めて恥じることなく高位を得て
安閑と暮らしていた者らにいいようのない憤りを感じた。


少年期、満足に教育を受ける機会に恵まれなかったことに対し
柴氏はある種の劣等感を持ち、文章に自信がなかったようであるが
この書を一読すれば、その内容や文の格の高さからすれば
柴氏の杞憂にすぎないことがわかる。
幼年期の僅かな期間で、
これほどの日本語を操つるようになったするならば
寧ろ、会津藩の教育の質の高さを賛嘆すべきかも知れない。