アルピニストの野口健さん(35)は8千メートルを超えるヒマラヤの高山で「死」を覚悟した。猛吹雪でまったく身動きが取れず“命綱”の酸素は残りわずか。独りテントの中で遺書を書き始めた。4年前のことである。
この瞬間から、野口さんの戦没者遺骨収集への取り組みが始まった。「死を目の前にして頭に浮かぶのは、懐かしい日本のことばかり。“帰りたい”という思いがこみ上げてきた。海外で戦った日本兵もそうだったんだろうな…」(中略)
幸い、ヒマラヤから生還できた野口さんは帰国後、猛烈な勢いで遺骨収集について調べ始める。フィリピンを中心に活動をしているNPO法人「空援隊(くうえんたい)」とコンタクトを取り、スケジュールをやりくりして3度、現地に飛んだ。そして熱帯のジャングルの洞穴などに、おびただしい数の遺骨が残されているのを目の当たりにした。
だが、当時、遺骨を日本に持ち帰ることは国の派遣団にしかできなかった。遺骨を目の前にしながら何もできない無念さ。そのとき野口さんに声が聞こえた。「おーい、もう行ってしまうのかい。60年も待っていたんだぜ」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/278258/
先日、産経新聞に掲載された野口健氏の記事を読み
数か月前に読んだ阿川弘之氏の「高松宮と海軍」を思い出した。
戦時中に海軍士官だった高松宮殿下の日記を
公開するための編纂の苦労話が綴られたもので
さしずめ「メイキング オブ 高松宮日記」
「高松宮日記発刊秘話」といった
手垢のついているキャッチコピーが
しっくりくる内容だった。
その中で印象に残ったのは
自分が想像すらできなかった自由闊達な海軍のリベラルな思想と
高松宮殿下の苦衷だった。
開戦時、真珠湾攻撃成功の報を聞きながら
帰還しえなかった特殊先行艇らの乗員の悲運を悲しみ
戦争が進むにつれて増える戦死者や被害に心を痛め
戦死を覚悟して出陣を願われるなど
想像し得なかった皇族の胸の裡を綴った文章に
深い感動にとらわれた。
なかでも、厚生大臣だった橋本龍太郎氏の働きで
自衛隊の輸送機で硫黄島にわたり、
今もなお多くの将兵が骸となって眠る洞窟へ入る際
靴を脱いで素足で入られるくだりは
「殿下」と叫びたくなる衝動にかられた。
国のために戦った英霊達のために何ができるだろう
無力を言い訳にした怠惰な自分を憾むばかりである。
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