ロンググッバイ

THE WRONG GOODBYE―ロング・グッドバイ (角川文庫)

ロンググッバイ(wrong good bye)というタイトルは
云うまでもなくハードボイルド作家レイモンド・チャンドラー
フィリップ・マーロウシリーズ「長い別れ(long good bye)」の
パロディである。
パクリを持ってくる時の矢作は面白いことが多く
それがタイトルともなれば期待せずにはいられない。


この作品は、古くからの矢作ファンにとっては
馴染みの二村永爾シリーズだが彼を主人公としたこの作品が、
「このミス」などのミステリーランクで上位に入ったのは少し驚いた。
確かに矢作の作品は面白いが、言い回しが独特で難解であり
特定の人間というよりも多数の読者に不快感を抱かせ
大衆受けと云う言葉から最も遠くに位置するからだ。
彼が日和ったかと少々警戒して文庫を手にとったが、
この小説はごく普通の読者に媚びることなく、
皮肉の効いた文章で満ちており
暇な独身中年男のアドレナリンを書き立てるには
十分すぎる悪意がそこにあった。
裕次郎は太ったが、矢作は矢作のままだった。


横須賀のドブ板通りで
日系アメリカ人パイロットと刑事・二村の出会いが
ヤクザ、華僑、米軍、神奈川県警、公安etcなど様々な団体の思惑に
絡まって複雑な事件へと発展する。
発見された遺体をただの事故死として
片付けたい県警本部の意向にも関わらず
二村は自分のやりたいように捜査を続け
事件の真相にたどり着く。
それは社会正義などと口幅ったいもののためてなく
気まぐれにちかい衝動的な感情のゆえであり
目的よりも生きる手段、何かを追いかけて
さもエッジの上を綱渡りで生きる自分に酔っているからである。
そして、二村はゴールに達するまでに
多くの友人たちとの別れに遭遇するのだが、
ある意味こちらの方が、ミステリーとしての完成度よりも
評価されたよう気がする。


自分の生き方を曲げないためには望まない別れですら
受け入れるのが男の美学ーといえば聞こえがいいが、
それは中年男の気まぐれに近く
少々幼稚で、ありきたりと云える。
しかし中年男の薄っぺらなのやせ我慢を
矢作独特の言い回しに修飾された文体が
この小説を凡百の感傷的な物語に墜ちることを禁じている。


その日から先、私が親しくしていたものは残らずこの町からいなくなった。
しかしアメリカ人だけは別だ。
アメリカ人にさよならを言う方法を、人類はいまだに発明していない。

文末を飾るこの文句を書くためだけに、おそらくこの小説は紡がれている。


以上、中年独身男の感想文である。