ツキ

http://number.goo.ne.jp/others/column/20060824.html

選手の自主性にまかせてあまりこまかな指示を出さないジーコのそのサッカーは、多くのマスコミにジーコの無能の証であるかのように受けとられ、最後はドイツで惨敗したことによって完全に失敗の烙印を押されたのである。
それなら、彼らはなぜオシム監督のことも同じように批判しないのだろう。
「わたしは選手に完全な自由を与えている。ピッチの上で監督が何をいうか待っていたら試合に負けてしまう。待っている選手ならいらない。サッカーは自分でプレーするもの。対戦相手は待ってくれない」
これはジーコの言葉ではない。オシムの言葉だ。


ジーコは選手に組織的な戦術を与えないと批判され、オシム監督のやったことは、選手が自分たちの判断でポジションやシステムを考えてうまくやったと賞賛されたのである。


批判されながらアジアカップで優勝という成績を残したジーコ
称賛されながら4位に終わったオシム
試合中の采配を除いて、二人の目指すサッカーに
それほど差があると個人的には思っていない。
アジア大会で両者の違いを上げろと云われれば
幸運ツキの差だと私は答えるだろう。


テレビを通じて何試合か観戦したが、
日本に不足していたはツキであり、
それを呼び込む何かが足りなかった気がする。
それを象徴するのが羽生である。
彼を非難するわけではないし、
彼が交替でゲームで入るとチームに勢い戻り
俄然、日本に試合の流れが傾くことが多かったのは事実だ。
だが、決まってもおかしくないようなシュートがバーに当たったり
ブロックされたシーンが強烈に脳裏にやきついている 。


アジアカップオシム日本は、
非常に完成されたサッカーを展開していた。
しかし、いかに精度やシステムが高度であろうと
点が入らないと勝てないのがサッカーだ。
持論だが、大きい勝負に勝つには実力だけでなく、
ツキという奴が必要なのだ。


願わくば、ワールドカップオシムと羽生に
勝利の女神の微笑みがあらんことを。