愛の流刑地

渡辺淳一日経新聞に連載した小説を原作とした映画


かつてヒットを飛ばして書けなくなった作家が
とあることがきっかけで知り会った主婦と不倫に落ち
その果てに絞殺してしまう。
夫との間に3人の子をもうけ幸せな生活を送っている冬香は
作家村尾と情事を重ね、情事の最中に「殺して」と懇願する。
それは、ただ単に性的な興奮の高まり故の妄言だったか、
或いは情事と現実の暮らし、二つの違う世界を重ねながら生きることに疲れ
答えを出すことを躊躇い、それ故にもっとも幸せと感じている瞬間で
死ぬことを渇望して漏れた言葉だったのか。


映画の出来について好みは別れるだろうが、
中途半端という印象がぬぐえない。
宣伝コピーの如く「男と女の愛を裁判で裁けるのか」ということを
テーマにするのであれば、裁判のシーンを重点にして描き
豊川と寺島の情事は、回想的にフラッシュで挿入する程度に止め
殺人に至った理由を物語の進行ととともに
検察や弁護士とともに解き明かしていくミステリ仕立ての方が
物語に深みを与えられただろうに、と思う。


作家村尾扮する豊川を告発するのは長谷川京子だが
これも役作りといより位置づけが中途半端だった。
仕事に生きるキャリアウーマンというキャラをもっと際立たせれば、
情事に溺れて死んだヒロイン冬香(寺島)との対比がより鮮明になり
女の心理は女にしか分からない、愛する男こそが女の心を理解できる、
というテーマの提示にもなり得ただろうに、非常にもったいなかった。
また冬香の夫役である仲村トオルも話の添え物程度でしか登場せずに
もっと被害者の夫という面を強調して描ければ
善良な市民対放蕩な作家という対立の構図も成り立たち
面白い筋書きにできた可能性もあっただけに
物語の解釈という点で非常に疑問が残った。


肝心かなめの主人公役の豊川悦治だが、
はっきり言って彼にこの役はきつかった。
濡れ場はそこそこ見ることができたが
雨の中で老木を見上げて方丈記の文頭をそらんじる場面に
作家としての「知性」の欠片を感じることができず
一気に気分が萎えてしまった。
一方の寺島しのぶの演技が艶やかで、さえない主婦が
女としての喜びに目覚め情愛にのめり込んで"墜ちていく"姿を
こわいくらいにリアルに演じていただけに
豊川の作家としての役作りの不足が目立った。


総じていえば、濡れ場を含めた寺島の演技が突出していたために
映画全体のバランスが壊れてしまった映画だった。


愛の流刑地〈上〉

愛の流刑地〈上〉