自死の日本史


西洋において一般に自殺は罪とされているのは
キリスト教の思想支配によるところが大きい。
従って、自殺や自決(自死)の違いを彼らが認識することは困難であり
このため大東亜戦争の特攻作戦で散華した英霊達を誤解している事が多い。
日本人でも特攻隊の心情を曲解する輩が少なくない中で
モーリス・パンゲの「自死の日本史」は、
散り際を美しくあれという日本人特有の思考過程を分析し詳細な解説を加えている。


日本書記の弟橘媛おとたちばなひめが荒れ狂う海を沈めるために身を捧げた例から始まり、
鎌倉幕府滅亡の際の北条氏の集団自決、湊川における楠兄弟の差し違い
赤穂四十七士、乃木将軍の殉死、特攻隊、三島由紀夫の自決など
日本史に記されたじさ自決の数々をとりあげ
日本人特有の思想背景などを絡めて、彼らの死の意義を事細かく考察している。


大西中将も、最初の特攻に献じた詩においてすでに、あの古典的な諸行無常の調べを聞かせていた。


けふ咲きてあす散る花の我が身かな
いかでその香を清くとどめむ


伝統の声に答えるように、特攻隊志願者は思ったかもしれない。死んで御奉公するのは、たとえそれが何の役に立つものでなくとも、うるわしいことであるとーそして枝の上で枯れ朽ちるのを待たず散ってゆく桜の花のように、若いうちに命を散らしてゆくのは美しいことであること。もちろん彼らとても、生きられるのであば生きていたかっただろう。死のことなど忘れていたかっただろう。だが、死は眼前にあり、是が非でもそれに立ち向かうほかはなかった。だから彼らはすでに死んだ人間として生きようとつとめる。禅が到達すべき目標だと教え、『葉隠』が武士の取るべき道と教えたあの矛盾対立の超克ねそのなかに彼らは生きようとつとめる。


彼らの境地に遠く及ばなくても、
この民族の末裔として彼らを正確に語り継ぐたいと思う。


自死の日本史 (ちくま学芸文庫)

自死の日本史 (ちくま学芸文庫)