ローマ人の物語17〜20

他の職業人に比べて政治家が非難されやすい理由の一つは、
政治とは誰にでもやれることだという思いこみではないだろうか。
例えば、ピアノのコンクールでは、審査員は有名なピアニストが担当する。
いかに音楽を愛していても、単なる愛好家には、票を投ずることは許されていない。
それなのに政治となると、選挙ではだれでも一票を投ずることは許されていない。
それなのに政治となると、選挙では誰もが一票を投ずる資格をもつとされている。
でないと、非民主的と非難される。
ということは、民を主権者とする政体とは、
政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム、と言えないであろうか。
となれば政治家にとって死活問題は、政治のシロウトたちの支持を獲得することになる。
知識はあっても政治を実際にやったことのない点で、学者も評論家もシロウトに属す。
政治家が挑戦すべきなのは、
政治のプロとしての気概と技能を保持しながら同時にシロウトの支持を獲得するという、
高等な技なのである。
塩野七生

塩野七生のローマ人の歴史(文庫本)17〜20を読了。
丁寧な著述と大胆な解説でローマ人の歴史を綴る塩野七生のこのシリーズも
ティベリウスからネロまでのユリウス・クラウディウス王朝の4人の皇帝を
扱った今回の配本で20を数える。
ユリウス・カエサルが青写真を描き、アウグストゥスが作り上げ
ティベリウスが盤石にした共和制の鎧をまとった帝政の政体は
それ自体はあやうい高度なフィクションであるのに
広大な帝国を統治するのに最も強力で最適のシステムだった。
それが証拠に、民衆に不人気だったティベリウス
人気取り以外の政治を放棄したカリグラ、
妻にすら相手にされない人物と評されたクラウディウス
妻や母を殺したために民衆から離反されたネロなど悪名高い統治者が続いたにも関わらず
帝国は辺境における一、二の例外を除いて平和パクスな状態が続いていた。



塩野女史の著述を信用するならば
政治の善し悪しは人気や政体とは無関係なところにあるということになる。