インコは戻ってきたか


インコは戻ってきたか (集英社文庫)

インコは戻ってきたか (集英社文庫)

間の抜けてない死に方なんて、あるものか。
「インコは戻ってきたか」篠田節子

既婚者の女性編集者が、リゾート地を紹介するという雑誌の企画で
地中海のルビーと呼ばれるキプロスを訪れ、
現地で手配したカメラマンと行動するうちに、島の動乱に巻き込まれ、
平凡な生活に生きてきた女性が、平和と争いの深淵を垣間みる筋書きの物語である。


政治的、宗教的に対立するキプロスの南と北。
大国の思惑も働き内戦に至らないもののそこに住む住民には
以前からの"しこり"が残り、一発触発の空気が至るところで流れていた。
気さくで明るいギリシアキプロス人だが、
トルコ系住民の話になるとごく普通の主婦や少年までも
野蛮人バーバーリアンと呼び、島からの排除を口にする。
そうした混乱や対立を利用して
キプロスを中継地点として武器を密輸する業者、
住民の感情を煽り、トルコ人排除の正当性を訴えるギリシア正教の司祭
協会を隠れのみに武器を輸出入するロシアマフィア
世界で多くの人間が民族自立と唱えながらも、
民族の自立は決して平和のみをもたらなさいという冷酷な現実
ユーゴスラビアの例をあげるまでもなく、民族の自立は
さらに小さい派閥や相違の新たな対立を巻き起こす導火線となっており
観光地として名高いキプロスもその例外とはなりえていない。


作中、ギリシア系住民が住む村に出稼ぎにきたトルコ系キプロス人から
仲良くなった村の少年にプレゼントされたインコが
たびたび少年の元を逃げ出しては戻ってくるという話が挿入されている。
インコをして平和をつなぎ止めようとする行為が、困難であることを暗喩しているのか
それとも"青い鳥"同様、近くありながら、
憎しみに歪んだ眼には見えないことを諭しているのか
どう受けとるかは、読み手の解釈次第だが
様々な問題提起を読者に投げかけたまま、正解を記さない作者からの
謎掛けのように思える。



物語の終章に、主人公の女性と行動を共にしたカメラマンは
暴動に巻き込まれて不慮の死を遂げたことにより
写真家としての名が売れて、念願であった個展が開かれる場面がある。
そこには、キプロスの民衆を写した多くの写真の中に、
主人公を写した一枚のポートレートも掲げられていた。
遺作展の場にそぐわないその作品が、カメラマンからの愛の告白だとしたら
なんと"間の抜けた"告白なのだろうか。
右翼に煽動され国境を越え射殺される少年、
デモに参加し、それに巻き込まれて命を落とす食堂のオヤジ、
主人公と行動を共にしたカメラマンなど次々と"間の抜けた"死に方で倒れていくが
そうした死を笑える人間も、安全な場所で間の抜けた生きているに過ぎない・・・。