日本の中心

炎立つ 壱 北の埋み火 (講談社文庫)

ミサワ住んでいた頃、津軽方面へ抜ける道の途中に「日本中心の碑」と
書かれた場所を通りかかったことがある。
陸奥湾に近い本州の北端が何故「中心」なのかと不思議に思い
周囲の人間に聞いてみたが、明確な答えが得られなかった。
そのまま放置して何年にもなるのだが、
年末から年始で高橋克彦の「炎立つ」を読み、この疑問が氷解した。
それは、「日本中心」ではなく「日の本の中心」の意で
坂上田村麻呂蝦夷を"征伐"した証として刻まれたものらしい。
そして、日の本とは、大和朝廷の支配の及ばない東北地方の名称であり
その日の本という名称も、鉄の民・斐の本(斐伊川上流)の人間が東北に
移り住んだことに由来するのだそうだ。


九戸城といい日本中心の碑といい、青森を離れた途端
行きたくなった場所が増えた。
やはり、ミサワにいる間に高橋克彦を読むべきだったかも知れない。
春になったら日本の中心で愛でも叫んでこようかな(嘘)