お母さん ぼくが生まれて ごめんなさい。

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい



今年の春、産経新聞の読者欄で話題になった一つの詩がある。
きっかけは、石川県のある美術館で
監視のボランティアをしていた女性の方の投書だった。

館内で美術なんて興味がないといって騒いでいた女子高生達らに
この詩だけは見て欲しいと促すと
女子高生達は、不承不承その毛筆で表された詩を読み
一人が涙ぐみ、そして全員が泣いたということが書かれていた。
美術なんて興味がないといった女子高生達を泣かせた詩は、
今から27年前に当時15歳の少年によって作られた。


重度の脳性マヒとして生まれた「やっちゃん」の詩は
多くの愛情を自身に注いでくれた母への感謝を綴っている。
27年前当時も、その詩は、多くの感動を呼び
やっちゃんを始めとする多くの障害児の教育に携わった教師の向野さんが
本を記している。
そして、その本が今回の反響の大きさに答える形で再販された。

顔のまぶたゃ唇だけを動かすだけで、自分の意志を伝えなければならない少年が
自分の気持ちを文字にする作業というのは、健常者である自分にとって想像を絶する
教師と生徒の二人三脚で、一つの詩をつくるのに費やした時間は、4ヶ月に及ぶ
普通に読めば1分もかからない短い詩ではあるが、そこには、彼の15年の生涯の
思いの全てがこもっている
彼と彼のご家族の胸の裡を思えば、自然と瞼の裏が熱くなる。

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね あかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う おかあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ うまれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
冷めたい視線に なくことも
ぼくさえ うまれなかったら


ありがとう あかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな人の生き方を
教えてくれた おかあさん
あかあさん
あなたが そこにいるがきり