3 days maybe 2

昨日の産経新聞には、ペリリュー島の戦記について記事が載っていた。


日本軍の中川州男大佐が守るパラオ諸島ペリリュー島
米軍第1海兵師団が攻撃を開始したのは昭和19年9月15日のことであった。
米軍は、当初この島を「三日たぶん、二日」で簡単に攻略できるだろうと
楽観的に予想していた。
人員は日本軍の4倍強、小銃の数は8倍という圧倒的戦力と火力をもって
攻撃に臨んだ米軍ではあったが戦いは11月24日まで続き、
第1海兵師団は、死傷者が人員の約半数を数え
戦闘能力を失うという惨状を呈した。


戦い続けたペリリュー島の守備隊が
天皇陛下より陸軍史上かつてない11回のご嘉賞を賜ったことからも
同島における日本軍将兵の奮戦ぶりが伺いしれよう。
守備戦末期に、覚悟を決め突撃を望む部下に対し中川大佐は

「軍人は最後まで戦うのが努めだ。努めを果たす時は、誰でも鬼になる。
 まして、戦じゃけん。鬼にならなんでできるものじゃなか。」

と安易な突撃と玉砕攻撃を戒め、敵が十数メートルまで近づいても粘り強く戦い続けた。


今は平和となったペリリュー島には、
米海軍ニミッツ元帥の言葉を刻んだ碑が
静かにたたずんでいる。

TOURISTS FROM EVERY COUNTRY WHO VISITED THIS ISLAND
SHOUD BE TOLD HOW COURAGEOUS AND PATORIOTIC WERE
JAPANESE SOLDIERS WHO ALL DIED DEFENDING THIS ISLAND.


この島を訪れる全ての国の旅行者よ 
日本軍が如何に勇敢に、そして祖国愛に燃えて
この島を守って玉砕したかを語り伝えよ


小泉首相は、ことあるごとに大東亜戦争で散華された方を
「心ならずも戦争で死んだ人達」と表現するようだが
私は、南海で散った方々の全てが、心ならず死んだとは思っていない。
小泉首相が、語り継がないのであれば
私が語ろう、祖国愛を、そして彼らを。