DUTY

本当はアメリカに帰って家族と一緒にいたい、
でも日本で試合に出ることは、僕のDUTYなんだ。

今週のナンバーには、テロ事件後、日本のプロ野球でプレーを続ける
アメリカ人のコメントを匿名で載せていた。
記事のいくつかを拾い読みする限りでは、
テロへの反撃に消極的ないしは否定的というのが雑誌の姿勢のようだ。
テロの云々は、さて置き「DUTY」とい言葉のもつ
微妙なニュアンスについて、今日は述べてみたい。



昨日、やっとボブ・グリーンの「DUTY」を読み終えた。
”わが父、そして原爆を落とした男の物語”とのサブタイトルが示すとおり、
内容は、ボブと日本への原爆投下を命じられた男ポール・ティベッツとの不思議な友情と
ティベッツを通じて、ボブが父親の人生を明確に理解していく過程を綴ったものだ。
20年間、取材を拒否し続けていたティベッツは、
ボブの書いた文章が気に入り取材を許可する。
それは、

第2次世界大戦世代の人間は、自分のことを自慢しない。

との一節だった。


彼は日本に原爆を落としたことに対して良心の呵責を全く感じていないという。
が、その任務を遂行したことは、人々の記憶から忘れさられるべきだと考えている。
彼が心の底からそう思っているがどうか分からないが、
事実、彼はそうした態度を貫き、インタビューを拒否し続けていた。
硬骨漢ともいうべき彼は、若い世代の同国人よりも、
敵として戦った日本人の方が理解できるという。
ディベッツは真珠湾攻撃の飛行部隊の指揮官・淵田美津雄氏と戦後に面会し、
彼を立派な人物だと評価している。


戦争という狂気の中で、
それぞれの任務の功罪は問われるべきかも知れない。
しかし、それを命じられ、任務を果たした人間を攻撃することとは別である。
洋の東西は違えども、みな祖国の為に命がけで戦ったのだ。
与えられた任務に、好きも嫌いもない。
そこには、成功か失敗しか二つしかない。


それが、DUTYという言葉のもつ重みなのではないだろうか。


DUTY(デューティ)―わが父、そして原爆を落とした男の物語

DUTY(デューティ)―わが父、そして原爆を落とした男の物語