天地の 神にぞいのる 朝凪の 海の如く 波のなき世
との歌に、戦争ではなく平和を祈られた陛下の御心がいたい程伝わってきた。
今年は昭和天皇が生誕されて100年だそうだ。
今日本屋で、昭和天皇の足跡を記された本を立ち読みしている時
思わず目頭が熱くなった。
終戦を決定する午前会議で陸軍大将の阿南維近は
「国体の護持ができません。」と泣いてすがりつき、翻意を促すが、
「大丈夫だよ、阿南」と諭された。
しかし、大丈夫でないであろうことは天皇御本人が一番良くご存知で
すでにその覚悟もあられた。
国民の遂行した戦争の軍政の決定の責任は全て自分にある。 私の身柄は、諸国の代表する裁判にゆだねる
と・・・
戦争開始の決定は、御心でなかったにも関わらず、
国民に罪はない。一切の罪は自分にあるる。国民を飢えさせるわけにはいかない。 そのために閣下の力をお借りしたい。 ここに皇室の保有する有価証券等の財産がある、これをその費用の一部にあててもらいたい。
マッカーサーは回顧録で、
戦争に破れて命乞いをしない君主の姿に神を見たと述べているが
常に国民のことほ念頭に置かれた無私の方というのは、私は他に知らない。
かかる英萬な君主をもった国民で幸せだと私は思う。
みどり日というのは植物を愛でられた昭和天皇を偲ぶには
ある意味相応しいのかも知れない。
昭和は遠く去り、忠という言葉を人々は忘れつつあるが
私は忘れない。
そして、私は昭和という時代に生まれたことを誇りに思う。