韓国、中国から抗議されてはいそうですかと答える外務大臣というのは、一体何のために存在してるのか。


東京裁判で絞首刑となった廣田弘毅は、
軍部から「害務大臣」と陰口を叩かれていた。
日中事変、三国同盟とひたすら英米との対立を深める軍部の方針に
真っ向から立ち向かったゆえである。


彼は、戦後東京裁判においてA級戦犯の指名を受ける。
裁判冒頭の罪状認否において、自分はこの戦争を指導する立場にあったので
「無罪」ではないと主張しようとし、弁護団を慌てさせる一幕もあった。
それは自らの職責で戦争をくい止められなかったことを
自らの死で償おうとしていたからてある。


真珠湾攻撃が犯罪とするなら、広島に原爆投下を命じた者が何故起訴されないのか」
戦勝国が一方的に敗戦国を裁く不条理を衝いた弁護団の質問を、
明確な理由もなく却下して始まった東京裁判は、最初から結果は決まりきっていた。
廣田弘毅は、自らの保身を図ることを潔しとせず弁明はしなかった。
彼は、この裁判が占領軍のショーに過ぎないことを理解し、死を覚悟していた。
彼の妻静子は、夫弘毅の覚悟の程を知り、夫が自分で進退を誤まらないよう自死する。
それを知った弘毅は、一言「ありがとう。」と呟き
処刑当日まで「シズコドノ・・・」と愛する妻に手紙を綴り
12月23日、絞首台の露と消えた。
鮮やかな覚悟と最期であった。


今の外務大臣に、日本国の教育の責任について、命を賭ける覚悟があるのか、
それだけを聞いてみたい。