東京裁判で絞首刑となった廣田弘毅は、 軍部から「害務大臣」と陰口を叩かれていた。 日中事変、三国同盟とひたすら英米との対立を深める軍部の方針に 真っ向から立ち向かったゆえである。 彼は、戦後東京裁判においてA級戦犯の指名を受ける。 裁判冒頭の罪…
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