チャン族の少女


私は北川県に住む小学生だ。
遊牧民「羌」の末裔と云われているチャン族で今年に9歳になる。
今月の12日まで父と母、兄と弟と一緒に暮らしていた。
隣に住んでいたおじさんに連れられて
錦陽市の体育館の避難所暮らしになって6回目の朝を迎えた。
あの地震からお風呂に入ってない。
赤いジャージを着たままなので、少しにおってきている。
でも、替えの服は何ももっていない。
女の子だというのにね。
それより父さんや母さん、兄さんと弟に会えないのがつらい。
だけど私は悲しくない。
悲しい気持ちでいっぱいのときは、良いことは訪れない、そうお父さんに教わった。
だから、私は悲しくなんかない。




「ねえ、あなたは日本人なの」
私は、取材に来ていた日本人と仲良くなって色々と質問してみた。
「へぇ、日本にも新聞記者がいるんだ」
「なんで、こんなところにきているの」
おじさん以外の人と会話するのは久しぶりだったので少し嬉しかった。




「うん、とっても怖かった」
「学校の友達がいっぱい死んじゃった」
「仲のいい友達は、違う避難所で暮らしているの」
私は、たどたどしい漢語を使う日本人と地震のことを話した。
日本人と私は友達になった。



「ねえ、日本人のお兄さん、あなた記者なんでしょ」
「何でも知ってるよね、私の家族がどこにいるか知らない?」
その日本人は、えー、あー、とか喋って
下手な漢語がもっと下手になって言葉がとまった。
その日本人は本当に私の家族の居場所を知らないようだった。
「記者って普通の人が知らないことまで知ってるって父さんは云ってたよ」
その日本人は、私の顔から目を背けて小さな声でごめんなさいといった。
日本人はちょっと悲しそうな顔をした。
私は、友達になったばかりの日本人をちょっと困らせてしまったのかな、
友達を困らせてはいけない、って母さん教わったのに。
母さんにあとで叱られるかな。


色々と話した後、
その日本人はさようならといって、私に50元札(約750円)を一枚渡してくれた。
私は、そのお金を隣で私の話をだまって聞いていたおじさんに渡そうとした。
すると、おじさんは、首を横にふって、
震災募金箱と書かれた箱を指さした。
私はうなづいて、その箱に50元札を入れた。
そして、おじさんに云った。
「私達より困っている人はたくさんいるものね、みんなで分け合わなきゃ」
そう、お父さんは幸運や嬉しいことはみんなで分け合けなさいと云ってた。


振り向くと日本人が顔をくしゃくしゃにして泣いていた
「どうしたの、お腹が痛くなったの?」
「寂しくなったの?日本に帰りたくなったの?」
私がかけよると日本人の友達は、ただ私の手のを握って、
加油(頑張れ)を何度も繰り返した。
泣いている友達に励まされちゃって、ちょっと複雑な気分になった。
「何を悲しくて泣いているのか知らないけど、お兄さんも頑張ってね
良い事がきっとあるから」