世界は「使われなかった人生」であふれている


世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)


沢木ファンにこの本の内容を一言で伝えるとしたら
約二十年前に書かれた「路上の視野」の映画版
と云うだろう。
「路上の視野」は、本の感想だったが、
こちらは映画の感想。
批評ともエッセーともつかぬ沢木独特の文体で
「暮らしの手帖」に連載されたものが綴ってある。


邦画以外の、それもハリウッド系ではないアジアやヨーロッパの
マイナーの域を出ない作品が感想の対象で
映画の評価というより、俳優の解説と見所の紹介に近い内容だった。



沢木耕太郎といえば、「一瞬の夏」で
フィクションとドキュメンタリーの中間を行くような
独特の視点から既存の小説の範疇に収まらない作品を
書き上げている。
境界とか、定義にとらわれない立ち位置が氏の持ち味であり
この本からもそうした氏のスタンスが読み取れる。
個人的に、その持ち味から
決断することを忌避するモラトリアムの青年のような若さを感じる。



さて、題名ともになっている「使われなかった人生」とは
あのとき、こう選択しなかったら
どうなっただろうという「if」の仮定を記号化したものである。
約2時間前後に凝縮された数多くの悲喜劇のフィルムにおいて
繰り広げられる邂逅と選択、決断。
それを作者自身の旅や取材の体験になぞらえて語っているのが
この本のウリではないかと思う。



ただ20代の頃であれば、そうした仮定もあるだろが
30代もとうに過ぎた人間が
「あの時こうしていれば」というのはない。
半生と呼ぶに値する期間を過ごし、
自身が体験した多くの決断や邂逅によって
手に入れた現在の役回りを
ただの偶然の産物と片付ける訳にはいかない。
幸運と呼ぶにふさわしい決断や邂逅があったとしても、
それは全て本人の意志が招いたものであり、
訪れる時期が早かったか遅かったの違いでしかない。
老人が「あの時」云々するならばそれは回顧といえなくもないが
30代の人間が、口にするのは、後悔と愚痴でしかない。


人生を切り開くのは確率や偶然ではなく、意志ではないかと
選択肢の残りが少なくなった今痛切に感じる。






一瞬の夏(下) (新潮文庫)

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一瞬の夏 (上) (新潮文庫)

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