クライマーズ・ハイ


クライマーズ・ハイ


横山氏は、「半落ち」で直木賞候補作選考の際、
以下のような評価を受けている。

■ 渡辺淳一
「最大の弱点は、中心人物ともいうべき、妻殺しの警官が、
 つくられた人形のように存在感がなく、魅力に欠けることである。」
「結末はいかにもきれいごとすぎてリアリティに欠ける。」
「すべてがお話づくりのためのお話で、人間の本質を探り描こうとする姿勢が見られず、
 いわゆる推理小説の軽さだけが目立つ。」
■ 宮城谷昌光
「目くばりの悪さがある。」
「小説の筋をふくめてきれいでありすぎることは、魅力に欠けるということでもある。」
■ 林 真理子氏
「途中から結末が見えてしまう。」
「この作品は落ちに欠陥があることが他の委員の指摘でわかった。」
■ 五木寛之
「後半の予定調和的な結果には、大いに失望した。」
■ 北方謙三
「関係の団体に問い合わせて見解を得、主人公の警部の動きには現実性がないことを、
 選考の途中で報告することになった。」
「妻を殺しながら人を助けようとする、主人公の生命に対する考えに抵抗が
 多かったのだという気がする。」
■ 阿刀田 高氏
推理小説としては謎が浅い。」
ヒューマニズムを訴える点では盛りあがりに欠け、
 加えて現実には不可能な設定があるとなると、リアリティーに欠け困ってしまう。」


(参照:直木賞の全て〜小研究

等々、酷評に近いものがある。
だが、リアリティーのない物語と形容される評価にこそ、
横山作品の真骨頂があると私は思う。確かに、横山氏の作品は、
実在の人物や団体、事件をモデルとした高杉良の小説のような華はなく、
ミステリーとしては、宮部や高村のような物語の展開に意外性がなく、
ストーリーテリングに物足りないものがあるのは事実である。
しかし、それは現実の物語や人物を丹念に追って造形した結果であり
現実の比重を重するあまり、それが足かせとなり
登場人物が物語の中を自由に飛躍できないでいるに過ぎない。
言いかえれば、ストーリーや人物の作りが深くリアルであるからこそ
作品が重く地味なのである。


文藝春秋社の「このミステリーが凄い」でナンバー1となった「クライマーズ・ハイ」を
個人的に、この作品をミステリーとしての位置づけには同意しかねるが
セミ・ドキュメントとして読む分には、十分に面白く読み応えのある物語である。
1985年の日航機墜落で、史上最大の航空機事故という大波に
翻弄された地方新聞に勤める人間の喜怒哀楽を綴った物語で
先輩、後輩の記者の対立、社内の派閥などにあがきながら、
主人公が記者としての筋を見つけ、周囲の反発にあいながらもそれを押し通す物語である。
「降りるために登る」ー山を登る理由を語る主人公の友人が、そう語る場面があるのだが
それは、この物語全般を貫くテーマではなかっただろうか。


思うに山に限らず、人生は山を登るより降りる方が困難であり
登ることに熱中していればいるほど、降りる時に勇気を必要とする。
だが、登り続けた山もいつかは降りなければならない時が来る。
その時、如何に鮮やかに撤退できるか、どうかに
人としての幸せや価値があると作者は云いたかったのではなかっただうか。
この作品も他の横山作品同様、徹底的に地味で、華やかさに欠けるものがあるが
それを補ってあまりある力をを持っている。