愛国心はならず者の最後の拠りどころ

今週のはじめ、曽我ひとみさんのご尊父が亡くなられた
最愛の妻との再会叶わず他界された故人のその心境を思えば
いまだに遺骨の真贋論争に終始し、拉致被害の解明および被害者奪還への
道筋すら示せないこの国の為政者に大いなる不満を抱かざるを得ない。
いや、為政者だけでなく
「境港市だけにはテポドンとかを打ち込まないように、市長からお願いして」
という声を聞く時、ごく一部とはいえ
我が身可愛さのあまり自己保身に汲々とし、被害者家族への同情はおろか
世の道理や正義などを顧みない卑小な市民の浅ましさに
吐き気にも似た感情を覚える。


生命や利益が大事であるということは理解できる。
だが、自己利益を追求するあまり公益をないがしろにすることを、
しかも公的な場所で発言する神経を
私は理解することができない。
以前、自分のエントリー

戦争と見なすならば、みなせ。
ミサイルを撃ちたければ撃て。
その最初の一発が我の頭上で炸裂しても、私は笑って死んでゆこう。
拉致被害にあった同胞を長きにわたり見捨てた日本国全体の罪を
万分の一でも購うことができることを誇りとし
そして、日本人のみならず、北朝鮮の人民すら苦しめる為政者とそのシステムを
憎みながら、三途の川を渡っていこう。

と書いたが、決して戦争を望んでいるわけではない。
しかし、拉致事件は、双方の国のメンツがかかっている以上
解決にあたりその覚悟は不可欠である。


加えていうならば拉致事件は、日本の主権を明らかに害する犯罪であり
誇張ではなく、我が国に対する侵略行為である。
日本の国民が、隣国の指導者の指示のもとに我が国の領土から不法に連去られ、
彼の地に縛られ、その自由と貴重な時間を奪われている。
しかも、多くの人間が、である。これが侵略でなければどこに侵略があるのか。
憲法の条文の云々に関わらず、この行為を侵略行為と政府が認めないなら
この国は国と呼ぶに値しないただの経済共同体であり
国民は、列島に住み着いた流民の集団に過ぎない。


だが、一部の為政者の耳目が不自由で
人間としての感情に欠けるものがあったとしても
私は、未だにこの国が守るに値する国家と信じ、
その構成員たる国民であることを誇りとしている。
それ故に拉致という侵略行為を改めない北朝鮮への経済制裁を支持するのだ。
その結果、如何な事態が発生しようと、どんな損害を被ろうと私は厭わない。
何故なら、自己の損益よりも大事なものがあることを
私は知っているからである。


10日、北朝鮮6者協議参加を無期限中断 核兵器製造も宣言したと伝えられきた。
はったりか、本気か、それとも狂気か、その発言の真意は知らないが
我々は、何が起きようと、すべきことを行い、正しい道を歩けばいい。
いつでも、どこでも、誰にでも殺される覚悟するのは難しいかも知れないが
イラクで命を落としたジャーナリストか道を示したではないか。
世の中には、正義が行われないことがままある。
たが、秩序の破壊を看過することを許すことはできない。
拉致事件は、我々の秩序に対する挑戦なのである。



以上、感情的になったならず者の独り言である。