太公望

太公望〈上〉 (文春文庫)

公(きみ)よ。わが父は、商王に殺されました。
その怨みをはらすことを忘れたことがありません。
商王の首を獲るためには、箕子と戦い、勝たねばなりません。
公は、箕子との友好を保たれているとうかがいました。
このようなわたしでも、孤竹にゆかせてくれるのでしょうか。

宮城谷作品は、「個人の力だけでは大事は為すことはできないが、
真摯に生きる者には、見えない力による導きがある。」ということを語るかのように、
天佑神助が描かれることが多いわりには、感情の抑揚が少なく
大抵淡々と読み進めてしまうのだが
この小説に、天空の舟を読んで以来の興奮がわき起こった。

熊(ゆう)よ。いい世にしたいな。そのためにわれわれは生き、死ぬ。

巨大な王朝商を倒すべく、東西奔走する望が、配下となった熊に語る場面があるが
この台詞に、なんとも云えない爽快さを覚えた。
この物語は両親を殺され、何の力ももたない孤児に過ぎなかった望が
巨大な権力である商を討つ一種の復讐譚ではあるが
大言壮語や妄想と笑われながらも志を述べ望の健気さが、
この物語に不可思議な明るさをもたらしている。


思うに、宮城谷氏が、望の個人的な恩讐だけで商の打倒を果たした様に描いたのであれば、
この物語に爽快さを感じても、感動を覚えることはなかっただろう。
この小説が成功した一つの理由は、殺された親の復讐だった筈の望の行動が、
世の蒙きを啓き、商の社稷を維持するために犠牲になるでろう人を救うという目的を
得たところにある。そうでなければ、望の様に、これほど魅了されたことの説明がつかない。



「志に生きる者には不幸はない」とは、高い志を持っていれば、
どんな艱難辛苦にも耐えられるという意の言葉だが、
存外、志に生きる者には、神仏に限らず佑けの手が多くさしのべられるのかも知れない。
個人の恩讐や利害に縛られることが多い世の中だとしても
夢や志を忘れたくはない。