ロケット・ササキ3

電卓開発で半導体の最先端を走っていた佐々木とシャープだが
LSIの次の半導体について予想を外してしまう。
LSIは、固定記憶装置ROM、一時記憶装置RAM、中央演算処理装置CPUから
構成されるのだが、佐々木はLSIの小型化、超LSI次に来ると予想していた。
数学に強い若手女性社員が次世代につながるヒントを発するのだが
佐々木はそれを聞き流してしまう。
その頃、フェアチャイルドから独立してインテルを立ち上げたロバート・ロイスを
東京に迎える。
シャープで使用する回路はロックウェルの独占契約を結んでいるので
ロイスに大学の後輩・小島義雄が起こした会社ビジコンを紹介する。
インテルは、のちにLSIの機能を分割したマイクロプロセッサ―MPU4004を
発表し、市場を席捲することになる。
佐々木もアメリカのザイログと組んでマイクロプロセッサーを販売するのも
反撃のチャンスを得ないままに終わる。
佐々木は女性社員の言葉を深く受け止めなかったことを
最大の失敗と悔いる。


その後、佐々木は後進を育てることに注力する。
ソフトバンクを築いた孫正義アスキー西和彦などである。
アップルを起こして追放されたスティーブ・ジョブス
ヒッピースタイルのまま東京に来て佐々木に教えを乞うている。
佐々木の念頭にはお互いに高めあう協創があった。
どんなに優れた技術も2年で追いつかれるー進化のスピードに
適応するためには次の技術へ飽くなき探求ことが重要であり
それらの技術によって世界は住みやすくなる、という考え方だった。

1970年の大阪万博の頃、早川は万博に出展を予定していたが
佐々木は半年でなくなる万博の展示館より
早川を支える技術開発のために資金を出せと経営陣に詰め寄る。
結局は、創業者徳次の自分が恥をかけばいいだけだからといって
佐々木の案を通すのだが、佐々木はそうした創業者の大きさに
守られてシャープを大きくしていった。

電卓競争がシャープのほぼ一人勝ちとなった後、
松下から佐々木のもとに講演の依頼が舞い込む。
それは弱小メーカーのシャープに
足元をすくわれたことに我慢ならなかった創業者松下幸之助の意向だった。
シャープ内が反対の意見で騒然とする中、徳次は
「教えてあげなさい、それでだめになる会社なら
それまでの会社です。」と度量の大きさを見せつけ
佐々木の講演を承諾する。

創業者の早川秀治、たたき上げの佐伯らが牽引していたころ
シャープの技術を支えたのは佐々木であったが
その理念は紛れもない協創があった。
佐々木は1989年7月に顧問を最後に会社を退くが
その後も、さまざまところで日本のみならず
世界の技術発展のために尽力する。

佐々木が去ったシャープは苦労人の佐伯が引退した頃より迷走を始める。
儲かると踏んだ液晶に注力し会社を大ゴケさせて
鴻海の子会社として再生中なのは、周知のとおりである。
佐々木は、液晶の技術を一人占めしようとして失敗した経営陣を
傲慢と評した。


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半導体で日本に遅れをとったアメリカは
コンピューターからインターネット、ネット検索や販売に
SNSを開発して世界を再びリードするようになった。
二番手に甘んじることを是としたままでは
日本は永久に浮かび上がることはできない。
アニメや伝統文化以外にもこの国には誇れるものがあったことを
思い出させてくれたのが「ロケット・ササキ」だった。

ざっくりと大西康之が書いた本の内容を記してみたが
佐々木を中心とする技術者たちの生き様は痛快の一言に尽きる。
日本中が貧しい中、今の基準でいえばブラックな会社ばりに
働いて新しい技術を開発し、世間をあっと言わせる。
そういう生き方が是とされた時代の話は
日本が一番まぶしかった時代ではないだろうか。

作中、日米の技術者の待遇の差を嘆く吉田幸弘の挿話もあるが
日本の技術が衰退した理由は、
技術者を大事にしない日本社会の風潮が大きいような気がする。
人々を養うためには金儲けが大事だが
それよりも大事なのは技術であることを日本人は
いつからか、忘れてしまったような気がする。
利益の最大化だけが会社の目的となり
チャレンジすることを忘れた会社は急速に官僚化が進み腐敗する。
腐敗しないまでも、活力を失い停滞を余儀なくされる。
そんな企業のなんと多いことか。
それは、ひたすら正解だけを追求することを教えられた世代が
社会を動かすようになった帰結ではないだろうか。

新しいものを創造するー
それは大きな苦しみと困難を伴うものの、大いなる喜びをもたらす。
日本がそんな当たり前の事実を思いださせてくれた一冊だった。