日本の心とは

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『私にできること』──C.W.ニコル 2019年6月


願わくは
わたしは一本の木になりたい
暗闇の中に広く、深く根を張り
しっかりと土を抱えて
この地球を支える一本の木に

願わくは
わたしは一本の幹になりたい
空に向かって、まっすぐに、力強く
重ねた歳月と季節を年輪に刻み
すっくと立つ大きな柱に

かなうなら
この身を一枝に変え
光射す彼方へと手を伸ばし
風に揺られながら
天に祈りを捧げたい

願わくは
わたしは一枚の葉になりたい
瑞々しい緑の葉に
木陰を作り、清冽な息を吐き
春から秋にかけては
きらめく木漏れ日と戯れ
やがて命尽きれば密やかに舞い落ちて
再び森の土へと還るのだ

かなうなら
わたしはなりたい、どんぐりに
木の実に、ベリーに、果実に
食料を分け与え、広く種子を撒けるよう

さあ、みんなで一つの森になろう
それぞれの強さを持ち寄り、違いを受け入れ
砂漠に緑を取り戻そう
わたしたちの大切な惑星に
新たな命を育てるのだ

わたしたちの手で木を植えよう
この大地に
そして、みんなの胸に

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週末、C.W.ニコル氏の訃報が報じられた。
日本を深く愛したウェールズ出身の作家の逝去に
残念との思いだけが胸に去来する。

思えば、高校の図書館で彼の著作「勇魚」と
出会わなければ、
自分の生き方は少し変わっていただろう。


幕末から明治時代を舞台に
和歌山の太地の勇魚取りの青年・甚助を
主人公とした描いた小説は
胸のすく冒険譚であり、
失い、そして失われつつあった日本の文化と
精神に対するオマージュに満ちていた。


何故、ウェールズ出身の彼が、
日本の、しかも幕末期の人々の暮らしに
通暁しているのか、不思議であり、
そして、日本の歴史を知らない自分の無知が
疎ましく思えた。
爾来、機会があれば努めて日本を学ぼうと
心がけてきてここまで生きてきた。
勿論、不足しているのは言わずもがな、である。



ウェールズで生まれ、北極を探検し
日本で空手を学ぶために来日し
日本に親しみ、日本人以上に日本文化を
大切にしていた。
彼の挫折と成長、冒険と邂逅、思索と行動に
満ちた半生を辿れば、
それは驚くほど甚助の生き方に重なってくる。
彼の代表作でもある「勇魚」は、
異郷の地で志高く生きる彼自身の姿を
投影したものであったことに今更ながら気付く。


日本を愛し、自然を愛し、
地球を愛した氏の冥福を静かに祈る。

勇魚(いさな)〈上巻〉

勇魚(いさな)〈上巻〉