ボヘミアンラプソディーと乙女戦争

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】〈41〉ボヘミアン・ラプソディ - 産経ニュース

ルビコンを渡った少年
 直感的にひとつの解釈が可能になる気がした。少年はフレディ自身であり、少年が撃ち殺した男とはフレディの中の異性愛者なのではないか。同性愛者として生きるには異性愛者を殺すしかない。新たな人生は「殺人」によってしか始まらない。なんという皮肉。ルビコンを渡ってしまった少年にとって、もっとも気がかりなのは、自分を産み育ててくれた母だ。


 少年は道化に活気あるダンス、ファンダンゴを踊ってくれるように頼む。なぜファンダンゴなのか。それは「ファンダンゴ=ゲイ」だからだろう。「ゲイ」の原意は「活気ある」である。さらに、裁きの場で少年を断罪しようとする声が「アラーの名において」であるのも納得がゆく。イスラム社会の多くでは、現在も同性愛は犯罪とされている。


 イングランドウェールズにしても、21歳以上の男性同士の同性愛行為が合法化されたのは67年、たかだか半世紀前のことだ。スコットランドでは80年、北アイルランドでは82年になるまで同性愛は違法だった。オスカー・ワイルドを思い出す。1895年、41歳のワイルドは15歳下の男性と性的関係をもった罪で投獄され、作家生命を絶たれた。


 余談になるが、ワイルドは唯一の長編小説『ドリアン・グレイの肖像』で、悪徳によって破滅に突き進む美青年のドリアンに次のような独白をさせている。冒頭の「バジル」とはドリアンの肖像を描いた友人だ。
 《バジルの愛は、感覚から生れ、感覚が疲れれば死滅してしまう単に肉体的な美の称讃ではない。ミケランジェロモンテーニュやヴィンケルマン、さてはシェイクスピアそのひとが知っていたような愛なのだ》


 ワイルドの見立てでは、歴史に名を残す4人も同性愛者なのだ。
 同性愛が犯罪でなくなったにしても、「ボヘミアン・ラプソディ」が発表された75年当時、フレディにとって、保守的な英国社会は煉獄のように感じられたのではないか。ちなみにゲイ市場を標的にした米国の6人組、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」がヒットしたのは78年だった。
 もちろん「同性愛者」という視点だけで「ボヘミアン・ラプソディ」を理解したつもりになるのは、フレディと作品への冒涜(ぼうとく)であろう。フレディが抱える異民族、異教徒、移民という、いまなお紛争の火種となっている属性を含めて理解すべきだと考えるものの、それは私の手に余る。


 91年11月24日、フレディは息を引き取る。彼はその前にエイズに侵されていたことを公表、「ボヘミアン・ラプソディ」の印税を英国のエイズ基金に寄付するよう遺言した。
 映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、そんなフレディの複雑な内面を通して表現される、美しくも力強い音楽で、寛容さを失い退行しつつある世界と人々に激しく揺さぶりをかける。その意味でもRock(激しく揺さぶる)な作品だ。

旅ペディア【ボヘミアン、ジプシー、ヒッピーの違い】

ボヘミアン(ボヘミアニズム)は、元々19世紀フランスで勘違いによって生まれた言葉。ロマ人(ジプシー)がチェコボヘミアからやってきたと誤認されたために、軽蔑語としてボヘミアンが使われ始めた。

その後、フランスで貧しい芸術家、作家、ジャーナリスト、ミュージシャン、俳優などが家賃の低いロマーニ地区に集中し始め、ボヘミアン主義という形で広がっていくものの言葉は二つの意味を持つようになる。

良き意味は『質素に暮らし、誰の手ほどきも受けない』
逆の意味は『ドラッグに溺れ、セックスにみだら』

「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」で
最近知ったことだが
中世の東欧にあったボヘミア王国が、
キリスト教を信仰しながら、ローマ教会に
異を唱えために異端と認定され
十字軍まで派遣されていた。


こうした歴史的な背景が影響しているのか
しらないが、
ボヘミアンという言葉には
どこか世間と隔絶した、あるいは、
背徳の後ろめたさを感じることがある。


それでもボヘミアンを芸術的、あるいは
放浪者として肯定的に捉えてしまう。
異端に対する厳しさをしらないが故の
蒙昧さといえば、それまでであるが。


フレディが生きていた頃より
価値観は多様化し、
AIDSも不治の病から遠去かりつつある。
マイノリティの主張は
声高に叫ばれるようになった。
ヒステリックな音は
世の中に溢れるようになったが、
心の底から人を奮い立たせる歌は
どれほど生まれただろうか。


差別や偏見は、排除されて然るべきだが
劣等感やヒエラルキー
社会を揺り動かす力の源となるのだとしたら、
現代社会は、芸術家にとって
力を得難い時代なのかも知れない。


さて、フレディ・マーキュリーの映画と
クイーンの往年のナンバーが
今でも支持されているのは
あの時代の見えない何かに
彼らが挑んでいたからであり、
その生き方が小気味いいからだと思う。
多少、美化しすぎてるきらいはあるが。