ピート・キャロルへの手紙9

試合は、ジェイクがロング・スナッパーとして
参加したキックによる得点が
最後のスコアとなった。
49-31でUSCが、ウエスト・ミシンガン大に勝利した。


試合終了をつげるホイッスルが鳴り、
ジェィクはチームメートから再び祝福された。
「グッド・ジョブ、ジェイク」
チームメートから、肩を叩かれ、
握手を求められた。
ジェィクは、2年間の努力が報われたと思った。


「ジェイク・オルソン選手、
 インタビューをお願いしてもいいですか。」


幸せをかみしめ、サイドラインから
引き上げようとしたジェイクに
インタビューア達が訪れた


「今日、NCAA史上、初めて盲目のプレーヤーとして
 試合に出場したジェイク・オルソン選手です。
 今のお気持ちをお聞かせください。」

インタビューアの声が、スタジアムに
設置されている複数のスピーカーから流された。
その言葉に
喧噪に包まれていたコロシアムが、一気に静まった。
ブライアンとシンディは、フィールドで
受け答えをしているジェィクの居場所を目で追った。


ジェイクのインタビューが始まった。
「僕を支えてくれたチームメートに、
 そしてチャレンジする機会を
 与えてくれたヘッド・コーチに感謝します。」


観客席から歓声があがった。


「僕は12歳で光を失いました。
 でも、不幸ではありませんでした。
 みんなが僕を助けてくれました。
 

 ケベックは、盲いた僕の目のかわりとなって、
 僕の望むところへと導いてくれました。
 私にとって彼は、ただの盲導犬ではありません。
 僕自身の分身といってもいい存在です。


 妹のエマは、僕の学友であり、最高の妹です。
 彼女との二人三脚で、僕は学問において
 自分の世界を広げることができました。


 今年になって、かつてクリス・オダウド選手の
 つけていた番号61を戴きました。
 チームでは、ヘッドコーチのクレイ・ヘルトン、
 ホルダーのワイアット・シュミット、
 キッカーのチュース・マグラスを始め
 多くの選手が自分を支えてくれました。


 家では、父が僕の練習に付き合ってくれました。
 僕は多くのことにチャレンジしてきましたが
 本当にたくさんの人の善意に
 支えられてきました。
 そして、そのチャレンジすることの大事さを
 教えてくれたのは8年前、
 USCの監督だったピート・キャロル氏でした。
 彼にも感謝の言葉を届けたいです。
 
 そして・・・・・・。」

ジェイクはなにかを逡巡するかのように言葉が途絶えた。

スタンドでジェィクを見守っていたシンディは、
病魔に侵される体を
ジェイクに与えたことを悔いていた。
母親のせいではない、と諭されることで、
気持ちが和らぐこともあったが、
病気を告げられて以来、
その事実はシンディの胸に重石のように
のし掛かり、彼女の心を常に苛んでいた。


盲目の選手としてNCAA史上初めてプレーして、
ハンディキャップを乗り越え、
大観衆の前でインタビューを受けるという現実を
目の前にしても、それは変わることがなかった。


シンディとブライアンがジェイクの一挙手一投足を
見守り続けていたスタンドが俄にざわめき始めた。


マイクの故障か?と人々が囁き始めたころ
ジェイクが言葉をつなげた。
その言葉にシンディは胸を射抜かれた。



「・・・・・・母さん、
 ・・・・・・僕を生んでくれてありがとう。」


スタンドから
ひときわ大きい拍手が起こった。
スタジアム全体をやさしい空気が
満たした。
シンディの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
もう、ジェイクを見ることが
できなくなった。
彼女は嗚咽をもらしながら
ブライアンの胸に顔を埋めた。


夫は、震える妻の髪をなでながら
やさしくなでながら呟いた。


「家族に、めぐまれたね、僕たち」


シンディは、声なき声で頷いた。