努める者は何時か恵まれる


努める者は何時か恵まれる…人見絹枝の言葉 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

世界に「ワンダフル・ヒトミ」の名をはせてなお、「努める者は何時か恵まれる」を座右の銘とした。「愚かなりとも、努力を続ける者が最後の勝利者になる」と鍛錬を怠らなかった。スポーツライターの小原敏彦さん(76)は「専属コーチもいない日本の女子陸上が世界に追いつくため、限りない努力を誓った」とみる。


迎えたアムステルダム五輪。期待の100メートルは決勝に進めなかった。

 
「負けました!と言って日本の地を踏める身か」。自らに厳しい言葉をぶつけ、試合経験のない800メートル出場を強行。8月2日、決勝は意識を失う激しい走りで2位に。日本女子初の五輪メダリストとなった。


人見は走り続けた。世界に追いつくため、「よき後輩を見つけ出す」限りない努力を誓う。30年5月には若手を率いて美吉野陸上競技場で約40日間の合宿に入る。「体の苦しみは、男子さえしのぎ難い程つらいものであるのに、彼女等(ら)はよくこれをしのんで来た」。7月、日本女子選手団が欧州遠征に旅立った。



この頃の人見は多忙を極めた。遠征費捻出、女子スポーツへの理解を広める講演。体は悲鳴をあげ、31年4月、病に倒れて入院。4か月後、アムステルダムでの栄光をつかんだのと同じ8月2日、24歳7か月の人生を駆け抜けた。

高校時代、当時ヤングジャンプ
連載中であった「栄光なき天才たち」を読み
初めて人見絹枝の名前を知った。
その後、彼女の名前に遭遇したのは
有森裕子バルセロナオリンピックで銀メダルとなり
日本の陸上女子が64年ぶりにメダルを獲得した時だった。


その程度の知識で彼女を語ることは
愚かな振る舞いであると承知しているが
それでも、彼女のこの言葉に触れたときの
衝撃を語らずにはいられない。