柔のすすめ

【鈴木桂治 柔のすゝめ】先生の「強さ」に近づくことが恩返し(1/3ページ) - 産経ニュース

私にとっては「鬼」だった。先生が「これだ」と見込んだ選手にはことのほか厳しく、夜中の道場で午前2時、3時まで稽古させるのは当たり前。そこに是も非もなかった。こちらが故障を抱え「できません」と言っても通じない。「やれるか、やれないかじゃねえんだ。やれと言ってるんだ。いいから、やれ」。無理をさせない当節流とは対極だが、先生の哲学は透徹していた。私も食らいつくしかなかった。

先になくなった柔道家斉藤仁先生を偲び、
弟子であり後輩でもある五輪金メダリスト鈴木桂治
産経新聞に思い出を綴っている。


彼のコラムをしばらく読み続けている。
彼の文章の巧みさにも驚かされるが
なにより、太い一本の筋の入ったような生き方に
驚嘆の念を抱かざるをえない。
それは鍛錬さえを積めば、
到達できる境地なのかも知れないが
その鍛錬をするために
どれほどの汗と涙を流し濃密な時間を
生きてきたであろうか、
凡人にとって想像すら及ばない。


我が身と比較するのもはばかられるが
我に足りなかったのは
狂気にた情熱だったか、
才能だったか、
彼の文に触れて、独りごちる。