耶律楚材

陳舜臣歴史小説


チンギス・ハンが擡頭する少し前、
中原を制していた金は
国運を急速に傾けつつあった。
金の滅亡を予期した宰相耶律履は
三男を楚材と命名する。
それは、楚の人材が外国の晋で
重用されたことで生まれた言葉、
楚材晋用にちなんだものだった。


他国で用いられる人材を意味する名前は
契丹人でありながら
契丹の王朝遼を滅ぼした女親族の
金に仕えることを表しつつも
金とは異なる治世になっても
用いられるような人材に
なってほしいとの願いが
こめられていた。


楚材が幼少の頃に父履は亡くなったが
母親と父の残した書物から
自分の名前の由来を学び
来るべき将来を感じとって成長する。
やがて科挙を受け
進士となって金に仕える。
そして、耶律履が予測したように
時代は動き始め、金の衰退は明らかになり
中原を守る力を失いつつあった……


中華、モンゴルのみならず
西域のアラブ、ヨーロッパまで
制圧したテムジンことチンギス・ハン
彼に天文家として仕え、
後に宰相として史上空前の大帝国を支え、
巨大な力を背景にした平和を
民衆にもたらすことに苦心した
楚材の生涯。


血湧き肉踊る活躍譚ではないが、
民衆の安寧に心砕いた楚材の真摯さは
むごたらしいという言葉で
形容されるモンゴル帝国の征服劇において
小さくはあるものの
輝く良心ではなかったかと思う。