http://www.nfljapan.com/headlines/56055.html
現地22日、かつてアリゾナ・カーディナルスに所属していたセイフティ(S)パット・ティルマンが、2004年に陸軍の兵士としてアフガニスタンでの任務中に戦死してから10年が経った。
1998年ドラフト7巡でカーディナルスに入団したティルマンは、ルーキーイヤーから先発として10試合するなど若手選手として期待されていた。しかし2001年の米同時多発テロを受け、翌2002年にNFL選手のキャリアを捨てて軍務に就き、アメリカ国家に仕えることを選択。アフガニスタンで味方の誤射により戦死した。
最近、フットボールシーンから遠ざかり
二、三年前のスーパーボウルウィナーも
満足に答えられなくなったが
それでもWEBで彼の名前を見ると刹那に反応してしまう。
贔屓チームの選手ではなく、
生前に彼のプレーを注目して見たことはないが
彼の名前と彼の選択は、あたうるかぎり
記憶に留めるべきと思っている。
数年前、カーディナルス戦の解説をしていた元日本人プレーヤーが
彼の生き方は日本人には理解できない、とコメントしていたが
東日本大震災を経験した今なら、
彼の生き方を理解できる日本人も少し増えたのではないだろうか。
金銭や地位よりも、大切なもの守るために生きるー
という生き方を。
さて、当のアメリカは平和のための始めた戦いに倦み
アフガンを平定することないまま
彼の地からの撤退する時機を探している。
彼の死はアメリカとアフガンの平和に
どれほど益したのか、という問いに対する答えを
見つけるのは難しい状況になっている。
ともすれば、彼の死も無益な戦争の無駄死の一つとして
片付けられてしまいそうになる。
だが、それでもパット・ティルマンの選択は
間違っておらず、その勇気は色あせることないと信じる。
彼の生き方は、米国の父親すべてが自分の息子に望む理想の生き方だ。
彼は金よりも国や地域の人達の役に立ちたいという昔風の価値観を大切にした。
STLラムズかの5年契約900万ドルのオファーを断り
奨学金を出してくれたカージナルスに年俸51万ドルを選ぶ男だったから
陸軍を志願したのだ。