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戦時下の昭和十七年十月、中野正剛は早稲田・大隈講堂で行った、
「天下一人を以て興る」と題する演説の中で、天保大飢饉に際し、
窮民を救うべく決起した大塩平八郎に言及する。
大塩は飢餓に苦しむ庶民を見るに忍びず、決起を決意するが、
門弟の一人が反対する。決起は弾圧されて失敗する、
無駄ではないか、と。大塩はこう答える。
「数日前、淀川の堤を歩いていると捨て子に出会った。
その泣く声が実に俺の耳の底に響く。
母親なるものが捨てた子を見返りながら立ち去りかけたが、
また帰りきて頬ずりをする。
・・・ついに意を決して捨てていったが、
その母親さえももう飢えて死にそうな姿であった。
お前は赤ん坊の泣き声とお前の心との間に紙一枚を隔てている。
お前は赤ん坊を見物しているのだ。
ただ可相相だと言いながら・・・。俺は違う。
赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ。
捨てられた子、飢えたる民、
それを前にして見物しながら思案する余地はない。・・」
改めて大塩平八郎の人となりを知った。