本田圭佑

6月頃、ネットで本田圭佑中田英寿でどちらが凄いか?
ということを議論した掲示板の記事が配信された。
そこではフィジカルを含めた能力で、
中田が上というのが平均的な意見だった。
本田は中田に及ばない、
というのは妥当な結論だろう。
しかし、代表における存在感は
本田の方が上だと思うことがしばしばある。


先日、BSの特集で本田がCASKモスクワで
過ごした3年間をルポした番組が放送された。
ワールドカップ南アフリカ大会で見せた眩いばかりの煌きは消え失せ
怪我と苦闘する満身創痍の姿ではあったが、
それでも褪せることのない輝きを彼は放っていた。


怪我によりチャンピオンズリーグの出場を棒に振りながらも
後悔することも自身の不運を恨むこともなく
虎視眈々と次の機会を狙い、力を蓄えようとするその姿は
飢えた狼を彷彿とさせる気に満ちており
今まで見聞きしていた何れの日本人フットボーラーと異なる姿に
非常な違和感を感じた。


その違和感は、中田と本田、二人の代表におけるスタンスを
比較すればより分かりやすくなるだろう。
世界でも有数のプレーヤーに成長した中田は
技術や戦術以外の分野、つまり精神的にチームを
リードするふうはなく
チームメートの士気を鼓舞することは
なかったようにみえた。
鼓舞しなかったわけではないだろうが
中田特有のクールなの雰囲気は
どこか冷めた印象すら漂わせていた。
そうしたクールさとは真逆の熱量をもって
ひたすら突き進む本田は
ピッチから遠い場所にいながらもチームや仲間に対して
飽くなき情熱を注ぎ、精神的なリーダーとして
圧倒的な存在感を示している。


「情熱は足りているか」と自分自身に問いかけ
チームを鼓舞し上を目指そうとする情熱は
どこから生まれてくるのか、
およそ現代日本の青年らしからぬ熱さが不思議だった。


そうした疑問を抱きつつ、
二、三年前に読んだ会社の機関紙のページをあやつっていたら
その答えの一部を見つけることができた。
それは彼の大叔父にあたる東京オリンピック
出場した本田大三郎の記事にあった。
短い文章だったが違和感を紐解く鍵がそこには記されていた。
好きなことを極限まで突き詰めることと
圭佑の曾祖母による『人間は一生過ごして身の自慢』との教えが
本田の一族にはあると紹介されていた。
人生の一時の華やかさで一喜一憂してはいけない、という教えが
彼が身についているのならば、
現代の日本に似つかわしくない彼の勁さに合点がいくー。


現在、ミランへの移籍が取りざたされており
今シーズン、本田がどこでプレーするか定かでないが
どこであろうと、プレーさえすれば
彼はその存在感を見せつけるだろう。
彼の情熱に限界はないー



以上、なんちゃってフットボーラーの独り言である。