霧の朝突然に



芸人を批判した外国人のタレントの記事を読み
ふと思い出したバンバンの歌。
自分の属する世代より一世代以上も前に
発表されたこの曲を知っていたのは
またたま、ばんばひろふみ
お気に入りの歌手の一人だったということに因る。
なのでこの曲が歌われていた頃
どれくらいの人が耳にしたのか皆目見当がつかない。


二十何年かぶりにこの曲を聞いて
この楽曲が荒井由実の作品であったことに
少なからず驚いた。
なぜならば四畳半フォークと呼ばれた
当時のニューミュージックとは一線を画す音楽を志向し、
自他ともにそれが認められていた彼女の
明るく洗練された「都会的」だった筈の音楽に
四畳半と大差ない湿気と「昏さ」が漂っていたからだ。
或いはそれは、今の時代から俯瞰した時に感じる
時代特有の「昏さ」かもしれない。



この歌の頃とは比較して、世の中は豊かになり
人々の生活も大きく変わった。
今の時代を基準に考えるならば
この曲が書かれた時代はとても貧しく暗かった。
しかし、あの頃より人権や人々の権利が声高く叫ばれ
命の大切さが、より強調されているにも関わらず
前述した出来事は何故起こきたのだろうか。


今の時代の明るさが、道徳や倫理を失った故の
人間としての根幹を失った軽さからくるものだとしたら
それはとても悲しむべきことなのだろうと思う。




http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121212-00000021-flix-movi
フィフィが芸人の中絶報道で起きた「大笑い」を痛烈批判!日本人の性意識の低さにも苦言

「男女の身勝手な行為により人工妊娠中絶に至った場合、それは両者の責任であり、誠実に対応しようが否か胎児の尊い命が奪われた事実に変わりは無く、会見でこの話題に触れた際、笑いが起こった事は信じ難い。同時に視聴者との道徳観の隔たりや社会への影響に無責任なマスコミの姿勢も浮き彫りになった(原文ママ)」と痛烈に批判。