ヤクザ先生と呼ばれて


やくざ監督と呼ばれて ?山陰のピカソ・野々村直通一代記

やくざ監督と呼ばれて ?山陰のピカソ・野々村直通一代記


数年前の選抜甲子園、二十一世紀枠で出場した高校に敗れて、
「末代までの恥、腹を切りたい」と
物議をかもした監督がいた。
ヤクザ風のファッションとともに発言や行動を糾弾され、
帰校後、監督辞任のやむなきに至った教諭野々村直通氏


当時は、変なオヤジとして認識していたが、
ところがところが、この変なオヤジ、並大抵の変ではなかった。


ゴーストライターによる執筆を拒否し、
自筆にこだわったという前書きから始まり
現在の容貌からは想像もできない真面目一徹の半生は
余人を持って代えがたい実直一辺倒の記録である。


体育会特有のシゴキやイジメを否定しつつも
不良学生や暴走族には暴力も辞せず
あまつさえ「殺すぞ」と怒りをぶちまける


無名の元工業高校にして不良の多い府中東高校を率いて
強豪並いる広島県大会を勝ち抜き甲子園出場を果たし
転勤先の私立高校では理事長の命令を、相手側に失礼の一言で跳ね退け首になり
一緒に学校をやめようとする部員の親の懇願により
理事長に土下座、給料三分の一の屈辱にもたえ
監督にもどり(差額は父兄会がカンパ)夏の県大会だけ出場し失職。
土木作業員をへて私立の教諭に復帰し
女子ソフトボール部をインターハイ出場に導き、
更には硬式野球部を甲子園の常連校に作り上げるなどは
野々村氏が指導者として
優秀であるから達成できた功績にほかならない。


府中東高校時代、地元の選手を入学させるべく日参し
強豪高校との勧誘合戦にまけじと情熱でぶつかり
父兄から「野球は教えてくれないが人間を教えてくれる」と
選手を預けられるくだりは
氏がいかなる人物かを最もよくあらわしている


氏のやや過激なる指導や熱い出来事が綴られ
その特異性に目がいきつい見落としそうになるが、
おそらくこの人物は限りない優しさをもっているのだろう。


でなければ渦中教え子をして
「先生に教わった三年間は誇りです」と
いわしめることは不可能である。



マスコミの偏った報道を鵜呑みにし
氏を謗ったかつての己の了見の狭さを
詫びるとともに深く恥じる