前へ

ラグビーって素晴らしいじゃない。前へ、進むんだもの」

選手全員の無事は確認されたが、自宅を流された者もいた。地域クラブとして、ラグビーが続けられるかも分からなかった。


それでもまず、ボランティアに向かった。力自慢の選手らは、被災した施設の老人を車いすごと持ち上げて運んだ。重たい援助物資もパス練習のように搬送した。


アラティニやファーディーら主力の外国人選手は、救出に来たニュージーランドや豪州の大使館員の説得を断り、「ここが自分たちの町だから」と、釜石に残ることを選んだ。


(中略)


明治大学の主将だった高橋が入社したのは、84年。以降、優勝はなく、2001年には会社の方針でラグビー部が解散。同年、地域クラブの釜石SWとして再スタートした。そして大震災。高橋は巨漢FWとして、監督として、GMとして、釜石ラグビー苦難の道を常に牽引(けんいん)してきたことになる。


高橋の釜石行きを、半ば強引に決めたのは、明大の老将、北島忠治だった。なぜ釜石なのか、高橋は聞いたことがある。北島は「お前が入学したときから決めていた」と答えた。理由になっていないが、こう言われては断れない。


そして今、釜石の高橋であることに「何の違和感もないです」と話す。V7世代の明大OBは現役引退とともに釜石を離れたが、北島は大きな置き土産を残した。



復興の標語ともなった「前へ」は、北島のキャッチフレーズだった。「ラグビーってのは、奥は深いが難しいものじゃない。前へ。押して押しまくるんだ」と話してくれたことがある。高橋の解釈は、「一歩ずつ進むためのキーワード。


親父(おやじ)は、『逃げるな』と言い続けたのだと思います」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120225/dst12022503150000-n1.htm



絆と謳いながらも、レベル以下の作物や瓦礫に過剰反応を引き起こし、
それをあたかも当然かのように報じるアホウどもが幅をきかすこの日本で、
健気に戦う、ひたむきに生きる男たちがいる。


コミックフットボーラーにしてなんちゃってラガーマンに過ぎないtacaQだが
それでも彼に、釜石にエールを送りたい。


「前へ進め」