本田宗一郎


http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090805/acd0908050309000-n1.htm

【次代への名言】8月5日・本田宗一郎

■「進歩を運命づけられた人間の辞典には、不可能という言葉はあり得ないと私は考えます」
(本田宗一郎


「成功とは九九パーセントの失敗に支えられた一パーセントである」−。これは色紙によく書いたということばだ。本田宗一郎はもちろん、本田技研工業(ホンダ)の祖。きょうは、日本が生んだ最高の経営者であり、自由を愛し、創意にあふれた技術者だった本田の命日(平成3年没)にあたる。


「私は、他人の真似(まね)をするのが大嫌いである。真似をして楽をしたものはその後に苦しむことになる」。この哲学から生まれた世界最高峰の技術の一つが1972(昭和47)年のCVCC(複合渦流調整燃焼方式)エンジン。低公害のCVCCは当時最も厳しかった米国の排ガス規制を世界で初めてクリアし、「技術立国ニッポン」の象徴となった。


「政府が介入すれば企業の力は弱まる」が持論。だから自動車産業への参入を規制しようとした『官僚たちの夏』のモデルとやりあったこともある。また、公私の区別を厳格にし、“世襲”を排した。そんな彼の数ある著作のなかから最後に、外国で日の丸を見た感激をもとにいたった信念を紹介したい。


「国民的自覚を捨てて、国際的な感覚は持てない。すぐれた国際人は同時にその国の立派な国民でもあるのだ」


排ガス規制、石油ショックなど、
全世界の自動車メーカーを覆った危機の波
政治的な決着や他社の技術開発を期待するなど
他人任せの解決を期待するなか
ホンダは、自力による解決を目指し独自の技術を追求した。
何事にもひるまずチャレンジするという創業者の姿勢が
社員を動かし、新しい技術を生み出した。


第2期F1活動では、
世界最強のメーカーとして君臨したホンダだが
そこに至るまでは平坦な道のりではなかった。
レースエンジン開発に関わる失敗はもちろん
市販の車にも大きな欠陥が見つかったり
販売不振に悩まされ
会社が窮地に陥ったことも多々あった。
それでも、ホンダは前進することをやめなかった。


創業者が亡くなって以来
販売至上主義が幅をきかせたり
第3期のF1活動が惨敗に近い結果に終わるなど
会社としての方向性に疑問を感じたりすることがある。


熱いホンダが描かれた「F1地上の夢」の頃が
懐かしく思えるのは、懐古主義者の感傷ゆえだろうか。

F1地上の夢 (朝日文芸文庫)

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