かくすればかくなるものと知りながら

http://mainichi.jp/select/today/news/20081202k0000e040047000c.html?inb=ff

旧日本海軍山本五十六(いそろく)・連合艦隊司令長官(1884〜1943年)が、太平洋戦争が始まった1941年(昭和16年)12月8日などに自らの心情をつづった直筆文書が見つかった。親交のあった大分出身の海軍中将、堀悌吉(1883〜1959年)の孫宅(東京都)に保管されていた。今月6〜14日に、大分市大分県立先哲史料館で展示される。

 文書は「述志」のタイトルで、1939年年5月31日付と41年12月8日付の2通。

 前者は日独伊三国同盟を結ぶ前、海軍次官の立場で「俗論を排し 斃(たお)れて後 已(や)むの難きを知らむ」と俗論(同盟締結論)を排除する困難さを言葉にした。後者は真珠湾攻撃に臨まざるを得ない状況にあたり「己を潔くせむの私心ありてはとても此(この)大任は成し遂け得まし」などと決意をつづっていた。山本長官は三国同盟締結や日米開戦に反対する立場だったことから、史料館は両文書は遺書的な性格を帯びているとみている。

太平洋戦争開始前、米国との戦争に勝算を尋ねられて
「半年は暴れみせる」と啖呵を切った山本五十六元帥については
あえない最期を遂げたにもかかわらず
真珠湾攻撃の成功などから智謀優れた人物として
聖将、政将、名将などの肯定的な評価が多いのではなかろうか。


中には、前述の台詞で、政府が戦争を決意したのであるから
負け戦を打つ羽目になった彼は、
ギャンブラーとしては二流以下との声も聞くが
戦争に突入せざるを得なかった彼の心境は
ばくち打ちのそれではなく
「かくすればかくなるものと 知りながら やむにやまれぬ大和魂
を読んだ吉田松陰の心境に重なるものがあったような気がする






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