宿澤広朗 運を支配した男

宿澤広朗 運を支配した男



身長が160センチ台の小兵ながら、
早稲田大ラグビー部主将、日本代表として活躍し
就職した住友銀行でも無類の勝負強さを発揮して
将来の頭取候補と目されながら
50代半ば倒れ多くの人に惜しまれつつ逝去した宿澤広朗の半生を綴ったもの。


宿澤は埼玉県の熊谷高校に入学し
それは自身の身長が低いことから、
野球で大成することができないとの判断から高校からラグビーを始める。
類まれなる運動神経を持つ彼は、
SHとして活躍し、近郊の強豪高校を破る原動力となる一方で
学業でも優秀な成績を収める。


一般入試で早稲田の経済学部に進学後は
1年からレギュラーとして活躍し
2年、3年時には日本選手権で社会人チームを破り
学生チームとして唯一2年連続で日本一を果たす。



早大卒業後に、住友銀行に就職し
ロンドンで為替ディーラーとして活躍するなど華々しい経歴を築く一方で
ラクビーでも日本代表選手ー監督としても働き
ファィブネーションズから、未だかつて唯一度となる勝ち星を納める。
彼が強運と呼ばれる所以でもあるが、
その強運は、ただのフロックではなく、
彼が努力の末に掴んだものである。


彼は身長が低いということを自覚しており、
その身長がハンディとならないためにラグビーを選択した。
考ながらプレーすることでラグビー界に新風を吹き込んだ彼は
常に負けないために、勝つためにどうすれば良いかを自問していた。
その歩みとめない姿勢が、ラグビーでも仕事でも
彼に多くの勝利をもたらしたのではないだろうか。
極言するならば努力こそが彼に運を掴み取るチャンスをもたらし
それなくして彼の成功は有り得なかっただろう。



オープン化(非アマチュア)以降、世界のラグビーと日本の差は開き
子供の少子化に加えて、Jリーグの隆盛で優秀なジュニアが集まりにくくなる中
宿澤は日本ラグビー界改革のために奔走した結果
トップリーグの創設に漕ぎ着けた。
日本ラグビー凋落の傾向に一応の歯止めをかけたものの
依然として課題は多く残ったままである。
本当に彼の死は、ラグビー界にとってこの上ない損失だったな今更ながら思い知った。