甲子園への遺言

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯


現在、毎週土曜日NHKで放映されている異色の学園ドラマ
「フルスイング」の原作。
南海ホークスを皮切りに、コーチとしてプロ野球各球団を渡り歩き
福岡県筑紫台高校に59歳にて赴任した高畠導宏
半生を追ったノンフィクション。



高校時代、甲子園出場の経験はないものの
岡山で指折りのスラッガーとして名を轟かせ
丸善石油を経て、中央大学、日鉱日立とアマチュア野球で頭角を現し、
鳴り物入り南海ホークスに入団する。
しかし、球界の将来を担うバッターと期待された彼は
シーズン前のキャンプでアクシデントに見舞われる。
左肩を脱臼してしまい、完治しないまま試合に出場した結果
脱臼クセがつき、また肩を庇うことによって手首を痛めるなど
選手生活を通じてケガの連鎖に苦しめられることになる。
周囲からの期待に応えるべく、万全とは言い難い状態でも
怠ることなく練習に励み、打席に立った結果ではあったが
あまりにも早い引退を彼は余儀なくされた。


その後、コーチとして球団に残り、鋭い観察眼と独自の野球理論で
南海を強豪チームに押し上げるものの
解任された野村に殉じて、南海を退団し、求められるまま球団を渡り歩き
結果的にイチローや落合博光など
のべ30人のタイトルホルダーを育て上げる。



生き馬の目を抜くプロ野球界きっての勝負師であり
多くの首位打者やホームランバッターを育てたという実績もさることながら
高畠の手元を離れた多くの選手達が今もなお彼を慕う事実に
興味を覚えた。
二流以下の選手に対しても暖かい目で見守り、成長に全力を尽くすー
そうした情熱と愛情に溢れる人物だからこそ
高校教師としても短い期間でありながら、
鮮烈で忘れがたい思い出を残すことができたのだろう。




"綺麗な"ドラマを求めて手に取った者にとって、
コーチ時代の記述に、多少の幻滅を抱かざるを得ない部分もあり
正直、文章の構成に不満の残る書ではあるが、
それを差し引いても、教育者やスポーツ指導者は、この書を手に取り
高畠の生き様を学ぶべきかかと思う。