いま、歌はあるか

18年ぶりの工人体育場コンサートは迫害の時代が完全に終わり、ロックの価値を当局も認めたということなのか。それとも崔健の影響力が衰え、当局が恐れる必要がなくなったということかなのか。それとも市場を席巻する外国音楽に対抗し得るソフトとしての期待を、当局が優先させたということなのか。

コンサートの成功を好意的に報じた中国紙も、天安門広場で学生達がどんな思いで一無所有を歌ったかについては、一行も触れていない。高度成長のおかげで800元(約1万2000円)のチケットを享受できるようになった北京は、崔健の歌を取り戻しはした。だが、人々がまだ自由や理想まで手に入れているわけではないようにみえる。


福島香織/平成20年1月14日産経新聞6面「苦楽の政治学〜一無所有」より

崔健という歌手の名前に初めて触れたのは
今から10年以上前、MRマガジンに連載された松本剛の漫画だった。
天安門事件以降、当局の監視が強まるなかで
ロックを愛する日中の若者達が集い、ロックを歌うまでの紆余曲折を描いた物語で
そこには、支配体制を強める共産党政権に対して
命懸けで音楽を求める若者達の魂の叫びがあった。
作中、天安門に集った学生達がハンガーストライキを敢行し
音楽を食べるといいつつ「stand by me」を歌う場面があるのだが
それはまるで映画の見ているかのような錯覚を覚えるほど、叙情に満ちたものだった。


今月14日の産経新聞を眺めていると
北京在住の福島香織女史のコラム「苦楽の政治学〜一無所有」が目についた。
それは、海賊版を含めて1億枚以上をセールしたといわれる崔健の記事だった。
91年天安門事件の際は、集結した学生達の愛唱歌であった彼の歌は
事件以降、何かと監視の対象となり
2005年まで北京で大規模なソロコンサートが許されなかったという。



奇しくも最近、「北京的夏」が再版になり
後書きに、原作者である爆風スランプファンキー末吉が文を記し
あの頃の中国にはあったロックが、今はなくなったと嘆く旨の文句が綴られていたが
中国人がなくしたのは、本当にロックなのだろうか。
それは、熱病にも似た学生達の情熱ではないのだろうか。


以上、北京ともロックとも縁遠い中年男の独り言である。


北京的夏 (講談社BOX)

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