エディト・ピアフ


フランス、シャンソンの大歌手エディット・ピアフの一代記を
マリオン・コルティヤールが熱演。
彼女の演技とその唄については、
文句のつけようがないほど素晴らしかった。
作中に何度か歌唱するシーンがあるのだが
そのどれもが立ち上がってスクリーンの前で
拍手したくなるほどの出来映えだった。





街角で唄を歌い小銭を稼ぐ母親に連れられた幼女時代から始まり
祖母が経営する娼館で過ごし
そこで働く女性達から可愛がられた少女時代。
娼館で過ごすピアフは物語の全体からすればほんのわずかだが
喧噪と極彩色に包まれながらもスクリーンの登場人物に
幸福感にも似た感情を容易に移入できたのは
波乱と起伏に満ちた彼女にも幸福で穏やかな時期があり、
その幸せな時間が人生の荒波に翻弄されたピアフを支えたという解釈で
この物語を描いたからではないだろうか。


角膜炎を患い失明の危機を迎えたものの
聖テレーズに祈り奇跡的に回復し、ほどなくして訪れた娼婦達との涙の別れ。
サーカスをやめた父親ととも街角に立ち
唄を歌い始めた9歳の時、彼女の運命の扉が静かに開かれた。
二十歳となり親友のモモーヌと街角に立ち、唄っているところ
キャバレーのオーナー、ルイ・ルプレに見いだされ
スターダムを一気に駆け上がるのだが、
華やかな成功とは裏腹に彼女には、満たされぬ何かが存在しながらも
見えない何かに支えられていたように見えた。




作中、心の闇にとらわれまいとするピアフの哀れさを
マリオンはよく表現しており
彼女の一挙手一投足に観客は文字通り釘付けとなる。
猫背でチビ、独善的、はにかみや、情緒溢れ表現力に富んだ歌唱とは、
対称的なまでの見栄えのしない外見と不器用な感情表現ー
実物のエディトもかくありきと思わせるに足る内容だった。


特に晩年、薬の影響で著しく老化したピアフの悲しいまでのみすぼらしい見てくれや
オランピア劇場にカンバックを果たすまでの鬼気迫る振る舞いは
とうてい借り物の姿とは思えないほどのリアリティから恐怖すら感じた。
そしてピアフからひどい暴言を受けながらも
彼女の才能を信じて尽くしたマネージャーらを演じた脇役たちの
控えめでありながらも愛情を感じさせる演技が
この映画をより高い次元へと引き上げていたと思う。


しかし、個人的にはいくつか不満な点も残る。
彼女の劇的な挿話をフラッシュのようにつないだのは
物語にアクセントを与え、大きな効果があったことを認めるが
それも程度による。
あまりにも話が飛ぶために時間の経過が混乱し、
挿話の前後を理解するのに障害と感じたのは自分だけでないだろう。
また、おそらく興行上の理由でつけたであろう邦題の副題「愛の賛歌」も
マルセルとピアフの悲劇を知っている人間に対して、
二人の恋愛が物語のメインだと誤解を与え
作品を純粋に鑑賞する上で大きなマイナスの要素となってしまう。


映画の筋書きについて予備知識なしで見る人間からしてみれば、
詐欺だと云いたい気分だ。
副題として原題の「La m?me」を「若い娘」と訳してつけるか
国外のタイトルである「バラ色の人生」を添えれば
違った評価と鑑賞ができただけに非常に残念な副題のネーミングである。